超高度に『医デジ化』された社会の実現

小泉 憲裕
(電気通信大学 大学院情報理工学研究科 准教授)

金言・行動規範・世界観

(人生の大目的)おもしろきこともなき(この浮(憂)き)世をとことんおもしろく(人生を余すところなく全うしよう)!

Determine to laugh your life away, inspiring and encouraging yourself to live your life fully, in spite of the fact that your everyday life might be banal.(奥 浩昭先生訳)

すこしでもおもしろいと思ったこと、すこしでも愉(たの)しいと感じたことを大切にして、それを(慣習化して)どんどんやって、伸ばせるだけ伸ばし、(生きている間くらいは)とことんまで(継続して人生を余すところなく)全(まっと)うしよう!(せっかく何(なん)の因縁(いんねん)あってか、この世に生まれてきてしまったのだから、生きている間くらいはとことんまでやって人生を(余すところなく)全(まっと)うしてみよう(それがわれわれ生者(せいじゃ)に与えられた特権なのだから)!(慣習化して)どんどんやって、伸ばせるだけ伸ばし、(生きている間くらいは)とことんまで(継続して)やることで、(慣性力も手伝って※)それはますますおもしろく、また、ますます愉(たの)しくもなるだろうから(人生の指導原理)

※ラグランジュの運動方程式よろしく運動エネルギー(0.5mv^2)を速度で偏微分した後にさらに時間微分してみよ!(必然的に)慣性力(ma)が得られるはずだ。すなわち、運動している(体が暖められている:分子レベルで活発に運動している!状態(を維持すること)それ自体に価値がある(『慣性の法則』よろしく、宇宙空間では粘性摩擦抵抗が働かないため、いったん動き出したら止まらない(絶対零度で電気抵抗がなくなるという『超電導現象(ちょうでんどうげんしょう)』よろしく、天敵(てんてき)である粘性摩擦抵抗が働かない宇宙空間は慣性力にとって地政学的に超高効率なパワースポットなのだ)!

エンゼルスの大谷翔平選手がベンチ奥でよく走って体を暖めているのはまさにこの『慣性の法則』を最大限援用したいがためであろう。すなわち、運動している状態をできうる限り維持して、これを(肉体のみならず精神レベルにおいて、たとえ一瞬(ひととき)であっても)止めたくないのだ)!!!!(そうしてその帰結(きけつ)として)ほかの選手たちと比べて戦う前にしてフィールド上ですでに一歩も二歩も(肉体面および精神面において!)リードしている存在になって(しまって)いるのだ!

精神論でいえばさらに、大谷選手には決断力(覚悟)があり、そこに迷いを感じさせない(戦いにおいて迷いがある人間は弱い、、、迷ってしまった時点で残念ながらその戦いはすでに負けである。負けの9割は相手に負けているのではなく、自分自身に負けている(自滅にある)ことを忘れてはいけない。)。そうして健全な精神は健全な肉体にこそ宿るのだ!

また、世界座標系(基底)をどのように取るかは(人生戦略上!)本質的かつ決定的に重要である!ありとあらゆる価値観や感性は、その人の心の持ち方(世界座標系(基底)の取り方)によって、いろいろさまざまなものに(その観(み)え方が)変現(へんげん)してゆくものであり※,そうあることに気づいた時(そうあるからこそ、逆説的ではあるが適正な基底を定める(適正な世界観(視点)を獲得してこれを維持する)ことがかくも重要になってくるのだ!)、その人は真実を見ることが出来るのだという(『華厳経(けごんきょう)』の最も大事な核心(かくしん)部分である如心偈(にょしんげ)の中の一節)。まずは基底を適正に(ユークリッド空間を定める正規直交基底が基本!)定めてみよう!そうすれば適正な座標値が定まる(得られる)であろう!(何をやる(言う)かも重要だが、誰がやる(言う)かもまた重要だ!※※

※たがいに相似な行列はどれも同一の線形変換(T)のいろいろさまざまな基底(φ_A)に関する行列(T_A)による表現と捉えることができる。すなわち、基底(座標系・視点(perspective))をいろいろさまざまに取り換えて同一の線形変換(T)を眺(なが)めて観(み)たとしても(基底が縮退(しゅくたい)でもしてしまわないかぎり(結果として相似性が維持されているかぎり)は)固有方程式(モード)の係数から導かれるDeterminant(変換前後の体(面)積比)やTrace(固有値(変換前後の固有ベクトル軸方向の長さ(1次元の体(面)積)の比)の和)といった量(もちろん固有値そのものも!)は(その線形変換(T)の)不変(特徴量)である!

※※群(グループ)論(ぐんろん)の商(しょう)集合において同値(どうち)類(似たものどうしのグループ)の代表元(げん)たるキャプテンを取り替えたとしても演算(えんざん)の結果が変わらないということをその商集合が『うまく定義されている(well-defined)』(状態)といい、このときの商集合を商群とよぶ。

安全・安心・安定的で思いやりのある(医療・福祉支援)システムを構築するうえでも、システムの安定化(安定性の保証)は重要な課題となってくる。制御理論によれば、(パルス)伝達関数の極と状態空間表現のシステム行列の固有値とはたがいに等しい。また、いろいろさまざまな座標変換に対して得られるシステム表現の入出力特性((パルス)伝達関数)は不変(特徴量)であるのだから、(制御)対象(・目的)に応じてハンドリング(抽出・追従・モニモニタリング)しやすい状態変数が得られるように、あらかじめ基底(座標系)を適宜(てきぎ)変換しておくことが望ましい

さらにはまた、運動ポテンシャルエネルギー(ラグランジアンL)の構成要素はただ単に運動エネルギー(T)のみならずポテンシャルエネルギー(潜在的な仕事能力)にマイナスの符号をかけたもの(-U)との和(T-U)になっていることにも留意(りゅうい)されたい。

まずは運動エネルギーを速度の、ポテンシャルエネルギーを位置の関数としてそれぞれ記述しておいて、つぎにこれら(速度および位置)による変分をとり、無数にある運動軌道のなかから運動ポテンシャルエネルギー(ラグランジアンL)を最適(極小)化するような運動軌道の1本を割り出し、最後にこれをうまく整形(せいけい)して運動方程式のかたちになるように表現しようというのがラグランジュの目論見(もくろみ)であった

すなわち、(ニュートンのリンゴの木よろしく!)ポテンシャルエネルギーの空間微分による減少分もまた、慣性力に向上をもたらすのである運動学の指導原理!(ただし、ポテンシャルエネルギーを慣性力に転換(てんかん)するためには何かしらの方法でポテンシャルエネルギーを蓄積(ちくせき)してあらかじめ高めておく仕掛(しか)け・工夫(くふう)が必要である。

富士山頂にころがっている何ということもない石っころには高いポテンシャルエネルギーがある!余談だが、富士山頂で売られているペットボトルのジュースは高価で、1本500円もするのだという!(ペットボトルのジュースを500円で売る方法))。(実装)解空間は(抽象化の)山をいくつか登り降り(あるいは降り登り)したその先に存在することが多いのだ(これを見出す熱意と労力を惜しんではいけない)!

これを踏まえて(自身の)ポテンシャルエネルギーを(まずは!)高めるべく、何かしらおもしろい、あるいは何かしら愉(たの)しい(パワーが湧いてくる、発揮しやすい)と(野性的に自然と)肌身で感ぜられ(なんとなく思われ)るような自身に固有の(太陽エネルギーが燦燦(さんさん)と降り注ぐ)パワー・スポット(自身に固有のエネルギー供給のパワー・モード、エネルギー供給の(ベクトル)パワー・ポテンシャル(場)を見極めよ!)を見つけ出してまずは、そこにできるだけ身をおくエネルギー供給のパワーの(かけ流し)源泉に(入)浴してみずからの気をできるだけ高め、その恩恵に存分に授かる)ように(身の置き所をとことんまで徹底的に創意工夫)することも慣性力を高めるうえではきわめて有効(ゆうこう)な戦略であろう。愛は光だ!

ところで、ラグランジアンから運動方程式を導く際には変分(へんぶん)法(ニュートンの変分方程式)という手法を用いるのだが、これは1696年にヨハン・ベルヌーイによって出題された懸賞(けんしょう)問題のひとつであった『最急降下(さいきゅうこうか)問題』を解く過程(かてい)でニュートンが発明したものである。


※『最急降下(さいきゅうこうか)問題』(1696年にヨハン・ベルヌーイによって出題
鉛直面上に2つの点があるとする。ひとつの物体が上の点から下の点まで重力のみで落下する時に、要する時間をもっとも短くするにはどのような道筋(軌跡)に沿って降下させればよいか?


ニュートンはこの世紀の難問をたった一晩で解いてしまったというが、その(解)曲線は『サイクロイド』と呼ばれる、直線上を自転車が走るときに、車輪上のある一点が描く軌跡を天地(てんち)ひっくり返した曲線であった。このときニュートンは自身が発明したこの『最急降下問題』の解法を匿名(とくめい)でベルヌーイに宛(あ)てて投稿したのだが、誰が解いたのかはすぐにばれて特定(とくてい)されてしまったという。

その界隈(かいわい)では当時、『獲物(えもの)に残された爪痕(つめあと)から如何(いか)なるものの仕業(しわざ)であったかがすぐにわかる』と言われたという。

(参考文献)
長沼伸一郎,経済数学の直観的方法,講談社.


運動していることそれ自体に価値(慣性力の維持機能)があり、
ポテンシャルエネルギーの減少分は慣性力に向上をもたらす(運動学の指導原理)

この暗号は解けるはずだなぜなら解けたらとってもおもしろいだろうから、、(エニグマ解読に挑(いど)んだアラン・チューリング).

やらなければならないことをやることはとっても大切なことです。

しかしながら、

人生レベルにおいてはこれよりも何よりも、さらに・もっと・はるかに優先するべきこと(現世においてわれわれ個人個人に与えられた人生レベルでのミッション!)があります。

それは、、、

やらずにはおられないことを見つけて、それをどんどんやって、伸ばせるだけ伸ばし、(生きている間くらいは)とことんまで(継続してやることで人生を余すところなく)全(まっと)うする!!!!(その覚悟を決断によってさだめ、迷いをなくす!)
(自分の心の中にある、『自身の人生を(余すところなく)全(まっと)うするために固有の(太陽エネルギーが燦燦(さんさん)と降り注ぐ)シャンゼリゼ大通り(人生における固有モード:最大固有値(フロベニウス根)に対応する固有ベクトル空間)をなんとしても(by all means)見つけ出して(愛は光だ!)、そのど真ん中をエトワール凱旋門からコンコルド広場まで『西遊記』に登場する如意金箍棒(にょいきんこぼう)が如(ごと)き、けっして折れることのない一本の槍(軸、はり、柱)を心の中に宿して(慣性力をそのままに)燦燦(さんさん)と降り注ぐ太陽の光を存分に浴びながらまっすぐ歩く(突き進む)。一大オーケストラの行進のように!!!!)
(アルベルト・アインシュタイン(独: Albert Einstein、1879年3月14日 - 1955年4月18日)が娘のリーゼル・アインシュタインにあてた手紙のなかで)


ことです!!!

Get the Me-DigIT ROLLING, ROLLING, AND ROLLING !!!
(私の場合)

やらずにはおられないことを見つけ(、決断によって覚悟をさだめ、迷いをなくし)たその瞬間(moment !)、その因果(causality)における結果としてのイベント(event)がまさに発生し、七転び八起き(動力学的には起き上がり小法師(こぼし)のごとく、なんど倒されようが、そのたびに起き上がろうとする力のモーメントが精神機構としてかならず働いてしまう状態に相当!!!!)、『あきらめることをあきらめる』不屈の(精神機構に基づいた)人生の第二幕(The second act of your life)が(どどーんと!)開いてしまうことになります。これによりおもしろきこともなき(この浮(憂)き)世が、(慣性力も手伝って)どんどんどんどん!!!!おもしろく!なってまいります。

We are

へこたれることを諦める!!!!→成功するまで何度でもチャレンジする不屈の精神機構が残る

アニメ『魔女の宅急便』などで有名な宮崎駿監督はひとつのアニメを作り終えると全力を使い果たすためか毎回引退宣言をします。精魂尽き果てるまでひとつのアニメの制作に全力を注ぎ切ってしまうからでしょう。しかしながらしばらくすると、引退宣言を撤回してしまいまた、あらたなアニメ制作に取組みはじめます(まさに、七転び八起き)。

すなわち、宮崎駿監督にとってのアニメの制作とは、やめようと思ってもどうしてもやめることができない、(衝動的:impulsivelyに!)やらずにはおられないもの!なのでしょう。そうしてまた、このような(衝動的に!)やらずにはおられないものをひとつでも(とことんまで継続して、余すところなく)人生を全(まっと)うするための(如意金箍棒(にょいきんこぼう)が如(ごと)き)軸(はり、柱)としてみつけることができた人生は、その1点(軸、はり、柱)においても、きっときっときっときっと!!!!とってもハリのある、とってもおもしろい人生に間違いありません!!!!

The Galaxy Express 999 by Platina Jazz (Live Version)

こういう物に関わって(出会って:邂逅(かいこう)して)、この気持ちを(一度でも)味わってしまったのなら、(慣性力も手伝って)間違いなく一生やってゆくだろうね(クインシー ジョーンズ、We are the worldの収録後)

たった一度でいい。本当に魂が震える(人生レベルでの感動体験、共振現象!)ほどの悦(よろこ)びを(何かに対して)味わってしまったのなら、その人生は生きるに値する。悲しみ、苦しみを引き連れて『よし、もう一度この人生を』と言いうるだろう。
(Friedrich Wilhelm Nietzsche)

電通大の正門を入ってすぐのところに農工大から株分(かぶわけ)された※ニュートンのリンゴの木が植樹(しょくじゅ)されている。先日、このニュートンのリンゴの木のところで、森のお医者さんたちが一生懸命に枝を切ったり、葉をちぎったりしているところに出くわした。

※ニュートンのりんごの木は、ニュートンの出生地であるイギリス中東部・ウールソープ村にあったが、その後ミドルセックス国立物理研究所に移植され、接木(つぎき)法によって代を重ね今日に至っている。1965年(昭和40年)頃、故柴田雄次・東京大学名誉教授が同研究所を訪問した際に株分けされた苗木を譲り受けた。その後、東大から農工大(1982年)、農工大から2014年に電通大へと株分けされてきているのだという。(参考)https://mypage.fukanavi.com/campsite/ringo.html





聞いてみると、リンゴの木に菌(きん)が住みついてしまったとかで、葉っぱの裏がカビたようになってしまったところを見せてくれた。ニュートンのリンゴの木(古種であり、できるリンゴの味は相当にまずい!そうである)が1本立派に育つためには、ありがたくも多くの人が見えないところで(陰(かげ)で)支えてくれているのだ、、、雨の日にもこのような作業は断続(だんぞく)的に(intermittently)行なわれている。一人の人(生)や一つの研究室・企業、一つの研究開発プロジェクトを一角(一廉、ひとかど)の固有モード(固有値・固有ベクトル)を有する(full fledged)までに育てあげてゆく過程(process)も同様のものであろう。人生のほんとうの価値・報酬は結果(のなかに)ではなく、(濃密に、一生懸命に努力した)プロセスのなかにこそある(爪痕(つめあと)として埋め込まれている)のだから!

 Even if I knew that tomorrow the world would go to pieces, I would still plant my apple tree.(マルティン・ルター:たとえ明日、世界が滅亡しようとも今日私はリンゴの木を植える)

このときに植えられたリンゴの木には実りが多く、アイザック・ニュートン((Sir) Isaac Newton、1643-1727)の万有引力の法則(重力場)の発見や、スティーブ・ジョブズ(Steven Paul Jobs、1955年2月24日 - 2011年10月5日)のマッキントッシュ製品化につながる超偉大なるコミュニケーション・リンク(時空人間を超越した超偉大なる超張力、言わば『超万有引力!』)が存在している、、、と想像力たくましく空想を膨(ふく)らませてみると楽しい、、、以下はアインシュタインが娘であるリーゼルに宛てた手紙のなかの一節(をわれわれがMe-DigIT(Me-Dical DigITalization:医療のデジタル化(医デジ化))仕様に改編したもの)。

科学者が宇宙の統一理論を予期したとき、彼らは、この最も強力な見知らぬ力を忘れた。

(Me-DigIT)愛は光だ。

それは(Me-DigIT)愛を与え、かつ受け取る者を啓発する。(Me-DigIT)愛は(超偉大なる)引力(われわれはこれを超万有引力と呼ぼう!)だ。

なぜなら、ある人々が別の人々に惹きつけられるようにするからだ。(Me-DigIT)愛は(超万有引)力だ。(Me-DigIT)愛は展開し、(そしてわれわれの未来を)開示(開拓)する。

(Me-DigIT)愛に視認性(しにんせい:visibility)を与えるため、私は自分の最も有名な方程式で単純な代用品を作った。

「E = mc2」の代わりに、私たちは次のことを承認する。

世界を癒す(Me-DigIT)エネルギーは、光速の2乗で増殖する(Me-DigIT)愛によって獲得することができ、(Me-DigIT)愛には限界がない(上極限(じょうきょくげん、 limit superior)が∞の固有値である!)ため、(Me-DigIT)愛こそが存在する最大の力であるという結論に至った、と。

それぞれの個人は自分のなかに小さな、しかし(超)強力な(Me-DigIT)愛の発電機を持っており、その(Me-DigIT)エネルギーは解放されるのを待っている。

私たち(一人一人)がこの宇宙的(Me-DigIT)エネルギーを与え、かつ受け取ることを学ぶ(研究開発者、言わば『Me-Digistor(メディジスター※)』となる)とき、愛しいリーゼル、私たちは(Me-DigIT)愛がすべてに打ち勝ち、(Me-DigIT)愛にはなにもかもすべてを超越する(治癒の)能力があることを確信しているだろう。

なぜなら、(Me-DigIT)愛こそが生命の神髄(クイントエッセンス)だからだ。

(アルベルト・アインシュタイン(独: Albert Einstein、1879年3月14日 - 1955年4月18日)が娘のリーゼル・アインシュタインにあてた手紙の一節(をMe-DigIT仕様に改編))

※メディジスター(Me-Digistor)のネーミングにあたり、お医者さん(Doctor)とトランジスタ(Transistor)とを参考にした。トランジスタとは、電気の流れをコントロールする電子部品で、多くの電子回路で頻回に用いられている。 電気信号を大きくする増幅機能と、電気を流したり止めたりするスイッチング・コントロール機能とがある。 今日では、スマートフォン、パソコン、テレビなど、身近にある日常的に使っている電化製品のほとんど全てにおいてトランジスタは用いられている。


ガリレイ変換(Galilean transformation)とはある慣性系における物理現象の記述を別の慣性系での記述に変換するための座標変換の方法の一つである。ガリレイ変換はニュートンの運動方程式を不変に保つ(このためガリレイ変換の前後でニュートン力学の法則は不変に保たれる:ガリレイの相対性原理)。

他方でガリレイ変換では相対論的運動方程式やマクスウェル方程式を変換前後で不変に保つこと(まで)はできない(適用限界がある!)。すなわち光速に近い速度をともなう物理現象にガリレイ変換を(そのまま無理に)適用しようとすると現実との乖離(かいり)がどうしても生じてしまう。

この問題を解決するために、ローレンツやフィッツジェラルドは(静止している観測者から観て)運動方向に『物体が縮む(もちろん、ヒトであっても縮む!、そうして時間はゆったりと進む!)』という革新的な仮説を提案した(ローレンツ変換)。

すなわち、ガリレイ変換とローレンツ変換とでは、時間と空間に対する世界観において大いなる見解の相違がある。前者では、『時間と空間は光速と同様に絶対的かつ不動のもの』として捉えるが、ローレンツ変換では『光速が不変であるのに対して時間と空間は(速度や質量と同様に)観測者によって柔軟に伸縮(変化)してしまう類(たぐい)の代物(しろもの、物理量)である』として捉えるのである。

ある方向に物体が光速に近い速度で動けば(なんと!)静止している観測者から観てその方向に空間は収縮してしまっているように見え(したがって『物体が縮む』ように見える)、そうしてその空間における時間の流れもまたきわめてゆったりとしたものになっているように見えてしまうのだという(したがって光速で動けばその空間の時間の流れは静止している観測者から観て完全に静止しているように見える)!※

※超音波画像は体内が均一の組織、すなわち音速一定(1540m/s)であるという仮定のもとで画像化している。しかしながら実際の体内には骨などの硬(かた)い組織もあれば脂肪のように軟(やわ)らかい組織も存在する(大雑把にはあたかも遠心分離機でかきまぜたかのように体軸付近に硬い組織が、体表付近に軟らかい組織が分布している!)。具体的に骨などの硬い組織(空間)では超音波の足が早くなり、脂肪などの軟らかい組織(空間)では足が遅くなっている。

このため音速一定の仮定のもとで画像化した場合に骨はより薄く、脂肪はよりぶ厚くなって見えてしまうことになる。すなわち体内の組織の硬さ(あるいは軟らかさ)に応じてところどころで空間が伸縮(しんしゅく)してしまうことになる。

このようなところどころで空間が伸縮しているような空間(渡る世間は鬼ばかりの諺(ことわざ)よろしく人間社会を空間として観ることができれば、おそらく同様の伸縮はところどころ(いや、あちらこちらか、、、)で起こっていることだろう、、、)は一見したところ曲がってみえなくても、位相幾何学(柔軟な幾何学、Topology)的には十分立派に曲がった空間として分類されることになる。

(たとえ!)上流から下流にむかって(マクロ的にみて)一見(いっけん)したところ、真っすぐに進む、直進(ちょくしん)する大河の流れであっても、川の中心軸付近と川岸付近とではその進行速度には差(勾配:こうばい)があり、(ミクロの視点で観てみれば)この速度差が局所的には回転する流れ(渦流:うずりゅう)をつくり出し、水面に浮かんだ木の葉を(局所的に!)クルクルと回転(rotation(rot))させてしまうのである!

(参考文献)

さて、静電磁場ではマクスウェル方程式は別々の対(つい)に分かれ、一方の片割れは電界(でんかい)、他方の片割れは磁界(じかい)で両者の間には一見したところ、コミュニケーション・リンク(およびそこで働く超偉大なるテンション(超万有引力!))など何も存在しないかのようにおもえるが、本質的には両者の間には(特殊および一般)相対性原理による強固な結びつきが存在している。(特殊および一般)相対性原理はマクスウェル方程式が発見された後にアインシュタインによって発見された。

※マクスウェル方程式ではdivergence(div)やrotation(rot)が頻回(ひんかい)に登場する。このうち、divergenceに比べてrotationの意味についてはいささか直観的につかみにくいのではないだろうか。これは回転量や角速度、回転力(モーメント、トルク)といった単位面積要素あたりの(あくまでも局所的な!(超重要!!!!))回転にまつわる激しさ(大きさ、はやさ、強さなどを表現する)ベクトル(回転軸方向を向いており、右ねじが進む方向を正の向きとしている)の諸量(しょりょう:大きさ、はやさ、強さなど)をいっさいがっさい全部ひっくるめて普遍・一般・抽象的かつメタ(包括)的にハンドリングしてゆこうと志向(しこう)するなかで必然(ひつぜん)にうまれてきたものである。

当時、アンリ・ポアンカレ(数学者)は慣性運動する座標系において光の速さが一定でなければならないという条件を導き出すところまではできていたのだが、まさか現実の物理世界が蒟蒻(こんにゃく)よろしくグニャリと曲げられており、この条件に従っているというところまでは物理的世界観として十分に咀嚼(そしゃく)しきれてはいなかった。

他方アインシュタイン(物理学者)は(超!?)直観(幾何学、野性)的信念のもとにこの条件を物理的世界観として蒟蒻(こんにゃく)よろしくグニャリと柔軟(!)に受け入れることができ、1905年に特殊相対論(独: Spezielle Relativitätstheorie、英: Special relativity)として発表した。アインシュタインの有名な公式は、従来はまったく別々の物理量であると考えられてきた質量とエネルギーの間にきわめて重大なコミュニケーション・リンク(およびそこではたらく超偉大なるテンション(超万有引力!))が存在することを明らかにした20世紀物理学における最大の金字塔(きんじとう)である。


そのなかでアインシュタインは光速で伝わる重力波の存在を予想している。電磁波が光速で伝わることはマクスウェルの方程式が教えてくれることである(率直な数学的表現が物理の本質を垣間見せる!)が、重力波もまた、光速という(時速30万km/sと非常に高速であるとはいえ)有限の速度でこの宇宙(空間)を駆け抜け、(宇宙空間上を)徐々(じょじょ)に伝播(でんぱ)してゆくと言うのである(このとき、光速で駆け抜ける宇宙船(系)のなかの時計の針は地上の我々から観て静止しており、時の流れが滞(とどこお)って全く進んでゆかないように見えるのだという)。

そうしてアインシュタインの死後、半世紀以上の時が経ち2015年9月14日9時51分 (UTC:協定世界時) にLIGO(ライゴ、Laser Interferometer Gravitational-Wave Observatory)実験によって実際に重力波の存在が確認されることとなる。

この重力波は地球から13億光年離れた2個のブラックホール(それぞれ太陽質量の36倍と29倍)同士の衝突による融合合体(fusion)によって生じたものであるという。まさに『ドラゴンボールの世界観』である、、、※

※鳥山明先生の不朽(ふきゅう)の名作、ドラゴンボールには『超ウルトラ元気玉』なるものが登場する。『GT』で超一星龍(スーパーイーシンロン)を倒すため使用したもので、孫悟空が界王たちの協力で宇宙中・あの世中に呼びかけを行い、地球人たちだけでなく今まで出会った宇宙の人々・あの世の人々すべてから可能な限り元気を貰うことで作った強力な元気玉。その威力の大きさゆえに地表をかすめるような運動軌道を描きながら勢いよく放たれるという。

鳥山明先生の乗り物やロボットといったメカニック・デザインの描写はどこか愛(あい)らしく、近未来(きんみらい)的でなおかつ躍動(やくどう)感があり、眺(なが)めていて時間(とき)をわすれ、見飽きることがない。われわれ医療ロボット工学者にとっても将来の製品化に向けてその愛すべき精巧なメカニック・デザインの描写を見るにつけ、インスパイアされてくるものがいくつもある。(鳥山明先生の訃報(ふほう)に接し,2024.03.09)。


(参考文献)
都筑卓司,トポロジー入門,講談社.
竹内 薫,『ファインマン物理学』を読む 普及版 -電磁気学を中心としてー,講談社,2020.

夢をあきらめないで(岡村孝子)
→夢をあきらめることをあきらめて

負けないで(坂井泉水)
→一時(いっとき)の負けは(ほんとうの)負けではない
→あきらめた時がほんとうの負けである
→あきらめることをあきらめて

(部分積分を形式的に用いてインパルス関数を時間軸で積分してみよ!中長期でならしてみれば一時の負けの影響は自分が思うよりも大きくないことに気づけるはずだ。これに関してより詳細を知るためには(変数を普遍・一般・抽象化した)(解析的な)関数を(設定)入力(パラメータ)とする関数というメタ的な概念※を導入することによって苦心(くしん)して(従来の古典的な方法では微分演算することができなかった)不連続関数をなんとか手なづけて微分して解析できるものにしようと試みたことを起点・原点・出発点・一丁目一番地・starting pointとする(近代的なシュワルツの)超関数(および汎(はん)関数)の理論について学ぶ必要がある。

※すなわち、オブジェクト指向(object oriented)である(オブジェクト指向は超偉大な発明である)!『Smalltalk』を開発したゼロックス社パロアルト研究所の計算機科学者アラン・ケイがプログラミング言語『Simula』に感化されて大学院時代に日夜プログラミング・アーキテクチャの思索(しさく)に耽(ふけ)っていた1967年頃、『今何をしているのか?』と尋ねられて『object-oriented programmingだよ!』と答えたのが原点であるといわれている。

(設定)パラメータ(parameter)とはロールプレイングゲームにおける新規キャラクター生成時の知力、体力、(時の)運、魔法力といった能力属性(property)や値の付与・設定など、特定の関数(処理、ここではキャラクターの生成関数)が実行されるごとに属性や値が付与・設定されるその(設定)変数(variable)といったくらいの意味合いである。

パラメータの一般・典型・代表的な使い方(考え方)として、(たとえば面(体積)積分の計算を遂行するときや、全微分を偏微分の(1次線形)和に分離・分割するときなど)考慮すべきパラメータが複数ある場合には、(あたかも)1つのパラメータのみが(ある値からある値へと)動くものと(仮定)して、そのほかのパラメータについては(その間、あたかも)ある値に(静的に)固定された定数であるかのごとく(仮定して)扱ってこれを計算しようという技巧(ぎこう)的なものがある。

これにより1つのパラメータの解析が終わったあとに、動きのあるパラメータを順々に切り替えてゆくことができ、首尾(しゅび)よく計算を遂行することができる。なぜこのようなまわりくどい考え方をするのかというと『田口メソッド(なんらかのパラメータ解析をするときには、こんがらがってしまうのでパラメータを2つ同時には動かさないようにしようとする(きわめて泥臭い、人間的な!)方法)』よろしく人間は複数の動きのあるパラメータを同時に扱うことが苦手であるから、(人間は)これを各個撃破(かっこげきは)したいのである(2兎を(同時に!)追うものは1兎をも得ず!)。

関数の性質・属性(property)のうち最も本質的なものとして考慮されるべきものは、まずはその微分(可能性)および積分(可能性)であろう。これを踏まえて『解析的な関数※』とは、有界かつ有限の区間の外では値がゼロ(という意味でコンパクト※※、すなわち積分値も有限の値をもつ、換言すれば発散しないこと)であり、なおかつ何度でも(無限回!)微分ができる(値の増減傾向が調ベられる)ような関数※※※であるとして定義されるのが一般・典型・代表的のようである。

※使われる文脈にもよるものだろうが、ほかにx=αでテーラー展開できるという定義もある。

※※閉区間の一般化。開区間は閉区間の場合とは異なり(その端点に開球(かいきゅう)バブルを置くことができないことが原因で)、どうしてもその端点に無限をはらんでしまう。具体的に(無限級数の極限値たる!)端点付近で開球バブルの中心が無限級数の列となるように配置された無限個の開球バブルによる被覆パターンが構成されてしまっているような場合、これらから被覆が破綻(はたん)しないような有限個の開球バブルを選択することはできない。すなわち有限個の開球のバブルではどうしても穴があいてしまい、いくら悔しがったところで被覆が破綻して泡のようにはかなく消えてしまう。

※※※複素関数論を考える偉大な効用のひとつとしてグルサの公式によって微分が(なんと!)積分の形で表現されることがあげられる。ジョジョの奇妙な冒険の第3部のポルナレフよろしく、微分したとおもっていたら、実はなんと積分していた!というわけである(このように、にわかには信じがたい状態を『ポルナレフ状態!?』と呼ぶ)。したがって、複素関数は1度でも微分できれば(なんと!)、何回でも微分できる(言わば、『ポルナレフ関数』である!)ことが示される。

複素関数を考える効用としてほかにも、実数領域においてはバラバラに捉えられてきた三角関数と指数関数とがオイラーの公式によって複素数領域においては結びついていると捉えられることがあげられる。このように実関数を普遍・一般・抽象化したメタ的な概念である複素関数を考えることによって(従来バラバラに捉えられてきた数学的概念における)さまざまなコミュニケーション・リンク(およびそこで働く超偉大なるテンション(超万有引力!))が顕在化(けんざいか)し、にわかに数式が輝き、躍動し始めるのである!(同じ現象を捉えるにしても単眼ではなく複眼で捉えることによって、世界は変わって見えてくるのである!)

グルサ(Goursat)の定理は複素積分においては極の値を変数とみてコーシーの積分公式の両辺を微分することによって簡便に導かれる。



(参考文献)
馬場敬之,常微分方程式,マセマ出版社.

上記のインパルス関数(ディラックのδ(デルタ)関数とも呼ばれる)は『あらゆる出来事(accident)のその瞬間その瞬間を切り取って(cut out)、これを抽出(析出:せきしゅつ)』することから、その二つ名(ふたつな)を『ドラえもんの世界の関数』ともいう。英国の物理学者であるディラック(1902-84)は量子力学の研究の最中(さなか)にこの関数を発見・導入し、議論を単純・明解に進めることに成功した。

ディラックの功績として他にもMRIでも用いられている『ポジトロン(陽電子)』の予言や『磁気モノポール(単極子)』の提唱(素粒子としてはまだ発見されていない。宇宙のインフレーションの名残として生み出されたと仮定されるものの一つであり、スーパーカミオカンデなどで磁気単極子を観測する試みが現在も続けられている。)がよく知られている。


ちなみに複素関数論においてもディラックのデルタ関数とまるで双子のように瓜(うり)二つの特長をもつ抽出関数が現れる。コーシーの積分公式とよばれる(その二つ名は『ドラミちゃんの関数』といったところか)。投げ縄の輪を締め上げるように積分路Cをz=aのまわりに極限まで締め上げて縮小すると、f(z)はもうほとんど定数f(a)として扱えることをコーシーの積分公式は率直に表現している。


このようにコーシーの積分公式は特異点まわりに積分路を締め上げるとそこでの関数値を(あたかも何かしらの結晶のごとく!)析出せしめるが、この考え方はきわめて示唆(しさ)に富んでおり、医療ロボット工学、医用画像工学においてもきわめて応用の効く、有用なものの観方、考え方、捉え方、発想の仕方、世界観をもたらす!

すなわち変形をともなって運動する臓器内に埋め込まれた患部(腫瘍や結石)を包含(ほうがん)するように関心領域(積分路C)をうまく抽出(われわれはこれを、ディラックのデルタ関数、コーシーの積分公式につづく、第3の抽出関数として『Me-DigIT抽出関数』と呼ぼう!)・追従しながらバウンディング・ボックスなどを用いて捉え、これを締め上げてゆければ、あたかも静的(static)な世界でピン止め・ピンフォール(抑え込み)固定したかのように患部を扱うことができ、診断や治療におけるモニタリングを容易化することに大いに役立てることができる!

特異点を左手に見て(関心領域内に特異点を包含して)積分するか、右手に見て(関心領域内に特異点を包含しないで)積分するかでは、結果は大きく変わってきてしまうのである!

(参考文献)
Joonho Seo, Norihiro Koizumi, Takakazu Funamoto, Naohiko Sugita, Kiyoshi Yoshinaka, Akira Nomiya, Akira Ishikawa, Yukio Homma, Yoichiro Matsumoto, and Mamoru Mitsuishi, " Visual Servoing for a US-guided therapeutic HIFU system by coagulated lesion tracking: a phantom study," International Journal of Medical Robotics and Computer Assisted Surgery (IJMRCAS), Vol.7, pp.237-247, https://doi.org/10.1002/rcs.394, 2011.

A. Mariani, L. Morchi, A. Diodato, S. Tognarelli and A. Menciassi, "High-Intensity Focused Ultrasound Surgery Based on KUKA Robot: A Computer-Assisted Platform for Noninvasive Surgical Treatments on Static and Moving Organs," IEEE Robotics & Automation Magazine, vol. 30, no. 3, pp. 79-93, Sept. 2023, https://doi.org/10.1109/MRA.2022.3188221.

インパルス関数を積分したものは、(ヘヴィサイドの)ステップ関数で、スイッチを入れたときのような値の振る舞い(変化)をすることから、その二つ名を名付けるならば『スイッチ・オン関数』とでも呼ぶべきものであろう。ここで、ディラックのδ(i-j)関数が19世紀のドイツの数学者レオポルト・クロネッカーが発見したクロネッカーのδij関数の添え字(インデックス)i,jの自然数(離散)から実数(連続)へのメタ的拡張になっている点も見逃せない。

※呼び名について、転置をとるごとに自身に(-1)をかけた値になる(正負の符号が交代する)行列を交代行列(こうたいぎょうれつ、alternating matrix)と呼び、その二つ名を歪対称行列(わい・ひずみたいしょうぎょうれつ、skew-symmetric matrix)と呼ぶこともある。歪対称行列の『歪(わい・ひずみ)』という文字は1回転置をとると成分に−1(負)をかけた(符号が交代した)値になり、もう1回転置をとるともとの値(正)にもどることを(苦心して!)うまく体現(たいげん)していると思う。

交代行列には三つ名(みつな)もあって反対称行列(はんたいしょうぎょうれつ、antisymmetric matrix)と呼ばれることもある。交代行列の複素拡張である反(はん)エルミート行列との対応においては、反対称行列という呼び名が一番相応(そうおう)であると言えるだろう。

交代行列は(一般・典型・代表的には)原点を中心とする微小面積要素(領域)の(瞬間)(ねじり)回転(変形運動)力(モーメント、トルク)をあらわし、微小(矩形であらわすことが一般・典型・代表的な)領域(コントロール・ボリューム)に対して(あくまで!)局所的なせん断ひずみをもたらす(さきほどの歪対称行列の『歪(わい・ひずみ)』の由来となっている)。

(一般・典型・代表的な)はりのたわみの例で(具体的に!)考えるとまずは因果関係(いんがかんけい)として、はりに加わった荷重(力)やモーメントを原因とする結果として、はりにたわみが生じている。ここで、このたわみの量に応じて生み出される反力・反モーメントとはりに加わった荷重(力)やモーメントとの間には作用・反作用の(因果)関係が(あくまで!)局所的に存在していることに着目されたい。

この(あくまで!)局所的な作用・反作用の関係によってはりの内部のコントロール・ボリュームにおいて対向(たいこう)する方向に、ギシギシときしみ音(おん)を立てながらつり合い、互(たが)いに打ち消しあっている単位面積(要素)あたりの(あくまで!)局所的な内力(ないりょく)としての(応)力や(応)モーメントがせん断力、曲げモーメントの正体なのである。

ひずみ対称行列において対角線を挟(はさ)んで正負の符号が入れ替わっているのはまさにこの(はりの内部の)コントロール・ボリュームにおいてギシギシときしみ音(おん)を立てながらつり合って(あくまで!)局所的に(見合って)いる状態を率直に表現している※(率直な数学的表現が物理の本質を垣間見せる好例と言えよう)。

※正確には、ひずみ対称行列の各行はダランベールの原理よろしく、2組の対となっている偶力(ぐうりょく)の片割れどうしが内力として対向しながら、曲げモーメントとしては(あくまで!)局所的につりあっている状態を表現し、これは(曲げモーメントとしてはつり合いながらも)コントロール・ボリュームにせん断ひずみ(たわみ角)とよばれる(あくまで!)局所的な変形をもたらしている(これを空間で積分すれば大域的なはりのたわみを計算できる)。このとき偶力を構成する2つの対向する内力(片割れの対、r_y F_xと-r_y F_x、r_x F_yと-r_x F_yといった対向してつり合うモーメントの対)の構図はひずみ対称行列において対角線を挟(はさ)んで正負の符号が入れ替わった状態でお互いに対峙(たいじ)してにらみ合っていることでうまく表現されている。


このとき、せん断力を矩形型のコントロールボリュームの1辺(2次元のコントロールボリュームの場合)にそって単位長さだけ空間積分したものが(はりに曲げをもたらす)回転力(モーメント、トルク)としての曲げモーメントとなっている。超音波医療診断において超音波プローブを体表に押しこんだときに超音波画像(あるいは超音波画像の内部に埋め込まれた臓器)がたわんで見えるのも(やはり!)上記の曲げモーメントの影響による。前立腺の経直腸的内視鏡超音波画像(TRUS:TransRectal UltraSound)においては、この曲げによる変形効果ががんの局在を同定するうえでどうしても無視できなくなってきてしまうのだ。

(参考文献)
Anju Mukasa, Norihiro Koizumi, Yu Nishiyama, Yusuke Onodera, Momoko Matsuyama, Takumi Fujibayashi, Sunao Shoji, "Development of an intraoperative cancer localization navigation system to support complete resection of prostate cancer," 36th International Congress and Exhibition on computer assisted radiology and surgery (CARS 2022), International Journal of Computer Assisted Radiology and Surgery (IJCARS), Vol.17, Suppl.1, pp.S51, 2022.  https://doi.org/10.1007/s11548-022-02635-x

任意の正方行列は交代(反エルミート)行列(コントロール・ボリュームの各面に平行なせん断ひずみをもたらす回転力・モーメント)と対称(エルミート)行列(コントロール・ボリュームの各面に垂直な垂直ひずみをもたらす並進力)との和にかならず分解できるという事実もこれまた重要である。



われわれの医療のデジタル化(医デジ化)研究プロジェクトで開発している医療のデジタル化(医デジ化)(超)関数(Me-δigIT generalized function)もこうありたい!と考えている。すなわち、われわれの志向するシステムの行動原理として、
『ありとあらゆる臓器のその瞬間その瞬間を切り取って(cut out)、切り取った画像や診断・術具、治療用ビームなどを適所に挿入(put in)・再配置構成)・合成して、臓器内(の断面)に埋め込まれた患部を抽出・摘出(cut away)・追従・診断・治療モニタリング』することができる!!!!((広義の)cut out/put in/cut away法)

(例)エミー・ネーターが研究を通じて道しるべとした行動原理は、つぎのようにまとめられるだろう。

『数や関数や演算どうしの関係性(つながり、コミュニケーション・リンク、そこで働く超偉大なるテンション(超万有引力))を明瞭化して、統一(一貫)・統合(包括)的に適用できるようにし、その生産性を最大限に引き出すには、それを特定の対象から切り離して、普遍・一般・抽象的に有効な(メタ的な)概念として(再)表現しなおさなければならない。』
そうしてこのオブジェクト指向的な行動原理は、デジタル化ときわめて相性が良いのである!

(参考文献)
イアンスチュアート,数学の真理をつかんだ25人の天才たち,ダイヤモンド社.

産業界において現在主流の制御方式であるPID制御の基礎・基盤・土台・土俵・インフラストラクチャともなっており、工学一般において(もちろんロボット制御工学においても)極めて有用なピエール=シモン・ラプラス(Pierre-Simon Laplace, 1749年3月23日 - 1827年3月5日)が発明したラプラス変換※において微分に対応するオペレーションが代数演算的にみて、ただ単に s を関数の前にくっつけることのみになる(e-stを微分してみよ!積分は初期値を無視すれば微分の逆(演算)元となるので、単に1/sをくっつけてやれば良い)という驚くべき演算の簡便化はまさにこの効果的な応用展開の代表例である。


ちなみに、離散時間(発展)系(『離散』には値の『離散』と時間・空間・人間(じんかん)の『離散』とがある!)において(今日では一般に、デジタル・コンピュータを基礎・基盤・土台・土俵・インフラストラクチャとして用いて画像処理系および制御系を統一・統合・普遍かつメタ的に実装している。もちろんこれは、われわれのロボティック超音波医療支援システムにおいても同様である。)有用なz変換はラプラス変換のe^{-sT}をz^{-1}と置くことでむだ時間を有するシステムについて、これを巧(たく)みに表現しようとするところを起点・原点・出発点・一丁目一番地としている(もちろん、離散的に1サンプル時間だけ時間を進めるシフト・オペレータとしても有用である)。(サンプル)むだ時間分先の出力を推定・予測するうえで有用な道具立てとして代数学の父として知られるアレクサンドリアのディオファントス(推定生年 200年 - 214年、推定没年 284年 - 298年)の方程式が有名である。

ディオファントス方程式はさまざまなシステムにおいて頻回(ひんかい)に現代制御理論を援用した装備一式として具備(ぐび)され、1サンプル時刻前までの観測値を用いて環境雑音(システム雑音・観測雑音)に対して適応的に最尤(さいゆう:最小分散)推定・予測しようとするカルマンフィルタの基礎・基盤・土台・土俵・インフラストラクチャにもなっている。

1900年に提示された『ヒルベルトの23の問題』の第10問題がこの『ディオファントス方程式の一般的で有限的な可解性判定方法をもとめよ』というものであったが、これについては1970年にロシアの数学者ユーリ・マチャセビッチ(1947年3月2日-)によって否定的に解決されている。




(参考文献)

J. Zhou, N. Koizumi, Y. Nishiyama, K. Kogiso, T. Ishikawa, K. Kobayashi, Y. Watanabe, T. Fujibayashi, M. Yamada, M. Matsuyama, H. Tsukihara, K. Yoshinaka, N. Matsumoto, M. Ogawa, H. Miyazaki, K. Numata, H. Nagaoka, T. Iwai, H. Iijima: A VS ultrasound diagnostic system with kidney image evaluation functions, International Journal of Computer Assisted Radiology and Surgery (IJCARS) , Vol.18, pp.227-246, 2023.

https://www.youtube.com/watch?v=c7g4rfmaTd4

※ジャン・バティスト・ジョゼフ・フーリエ男爵(Jean Baptiste Joseph Fourier, Baron de、1768年3月21日 - 1830年5月16日)による熱伝導の研究を起点・原点・出発点・一丁目一番地とするフーリエ級数展開と基底関数の直交性を利用したその周波数ごとの振幅(係数)の抽出(析出:せきしゅつ)方法の発明は大きな衝撃(しょうげき)とともにその後の数学界に多くの示唆(しさ)を与えつづけた。1811年、当時43歳のフーリエ男爵は、大胆にもつぎのように主張した(ときには大胆に主張することも(科学技術の発展においてはきわめて)重要なことである!)。
どんな関数であっても、三角関数の級数によって展開できる。級数に展開できない関数など、この世の中に存在しない!

(参考文献)

岸野正剛,今日から使える物理数学,講談社.

※※『ディオファントスの墓碑銘(ぼひめい)』として知られる問題がある。
ディオファントスの人生は、6分の1が少年期、12分の1が青年期であり、その後に人生の7分の1が経って結婚し、結婚して5年で子供に恵まれた。ところがその子はディオファントスの一生の半分しか生きずに世を去った。自分の子を失ってからは数学に没頭し、4年後にディオファントスも亡くなった。

簡単な一次方程式を立てて解くと、84歳(12と7の整数倍だろうというところから解は容易に推測できる)という解が得られる。 

(参考文献)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%81%AE%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%AA%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%88%E3%82%B9



指数関数のようなよく知られた初等関数であっても、指数部に虚数(や後述するラプラス変換のように複素数)を持ち込むことでまったくあらたな性質を帯びてくるというのである!具体的にフーリエ級数は複素フーリエ級数へとその姿・形を柔軟に変化・変容(transform)・洗練(sophisticate)・進化(evolve)させてゆく。

具体的にまずはこの正弦・余弦から複素フーリエ級数への移行にともなってフーリエ級数c_nは複素数化される。この複素数c_nは、(基底関数ベクトルである)e^{inx}と掛け合わされ、さらには有名なオイラーの公式を用いてcos波(実部)とsin波(虚部)の合成波の形で表現されることから波動の振幅および位相という2つの(複数の!)情報を包含(ほうがん)しうることが示される(率直な数学的表現が物理の本質を垣間見せる好例といえよう!)。現在工学で用いられている表現形態はその直観的な見通しの良さ、扱いやすさから、十中八九この複素数表現になっている。

つぎにクロネッカーのデルタ関数の添え字のi,jを連続化してディラックのデルタ関数δ(i-j)を創ったように、c_nの添え字(n)の(時間領域あるいは空間領域における)連続化、すなわち(連続的な数である実数の)周波数(ξ=n/T:クシー)を導入することによる(複素)フーリエ級数の連続化が図られた。

ここで、c_nの値はもともとの関数f(t)と(基底関数ベクトルである)e^{int}との内積(正確には内積の複素解析版であるエルミート積、したがって積分の中身はf(t)とe^{int}の複素共役であるe^{-int}との積になっていることに注意されたい)をとることによって簡便に求めることができ、積分区間の長さ2π(円軌道の周長は2πrであることに着目されたい)で割ることによって周波(振動)数ごとに(円)振動の動径(振幅)を得ている。

また、複素フーリエ級数のΣの中身であるc_nとe_{inx}の積は複素数の極座標表現の形になっていることにも着目されたい。すなわちこれは、固有値(動径:どうけい)である1次元エルミート行列(c_n)と(蛍(ほたる)の光※よろしく!周期的な(円)振動を表現する)固有関数ベクトルである1次元ユニタリ行列(e_{inx})の積による固有(円)振動を表現しているのだと捉える世界観もこれまた重要である(率直な数学的表現が物理の本質を垣間見せる好例と言えよう)。

※蛍の光の明滅を見ると、心が和む。 蛍の腹部から発せられる淡い光の明滅は 正弦波をLEDに与えるこよによって再現できる。



さらにその後、特定の周期をもたない関数をも包含した一般の[-∞, +∞]区間の関数に対してもフーリエ級数の世界観の及ぶ範囲を適用拡大しよう!とする試みがなされ、フーリエ級数はフーリエ変換へと進化した。これに応じてフーリエ級数における(離散的な)(振動)周波数の『和(sum)』はフーリエ変換においては連続的な(振動)周波数(ξ=n/Tあるいはξ=n/L)による積分表示の形式へと進化している(フーリエの積分表示)。

具体的に時間領域(t)あるいは空間領域(x)の関数を(振動)周波数領域(ξ=n/Tあるいはξ=n/L)の関数へと変換する(複素)フーリエ変換、およびその逆変換である逆(複素)フーリエ変換の発明がなされ、さらには超関数(ちょうかんすう)の概念をも用いて苦心してその微分・積分演算が発散することなくできうるかぎり値をもつように工夫したメタ(包括)的な拡張概念としてのラプラス変換およびその逆変換であるラプラス逆変換へと発展してゆく。

古典制御理論の基礎・基盤・土台・土俵・インフラストラクチャともなっているラプラス変換およびその逆変換であるラプラス逆変換では上記の2πiξ(=jω:ここでiもjもおなじく(純)虚数をあらわすことに注意されたい。電気系では電流のiとの混同をさけたいがために、電流のiを優先して複素数のiのほうをあらためてjで置きなおすことが常態(じょうたい)・慣習化している。)をあらためて(複素数)s(=σ+jω)と形式的に置きなおす。

すなわち実数の角(振動)周波数ω(=2πξ)からs(=σ+jω)へと、さらに複素角(振動)周波数化することによって過渡的な信号(応答)波形の一般的な表現(形式)をもその内部に組み込んだことが本質・本格的な進化へとつながった。

具体的にjω(純虚数)に代えてσ+jω(=s:『実数部と虚数部』を合わせもつ複素数)という変数(複素角(円)(振動)周波数数)をあらたに導入・実装することによりわれわれは最終的に、定常的な応答(振幅が一定で変わらない正弦波および余弦波(波形))のみならず過渡(経時)的な応答(時間とともに減衰あるいは発散する正弦波および余弦波(波形)あるいはこれらを合成した減衰あるいは発散する円振動)の表現方法をも装備一式としてその手中におさめ、これを巧みに制御・ハンドリングすることができるようになったのだ。

ここで、(複素)フーリエ変換およびラプラス変換表現はオイラーの恒等式の援用(えんよう)により、複素角(振動)周波数(スペクトラム)の振幅のみならず位相の表現をも損なうことなくうまく包含(ほうがん)できていることに着目されたい。このことが、ありがたくも(複素)フーリエ変換およびラプラス変換とそれらの逆変換との間の可逆(かぎゃく)性を巧妙に担保(たんぽ)してくれているのである。

また、(複素)フーリエ変換およびラプラス変換表現は積分の中身が内積の複素解析版であるエルミート積になっていることにも留意されたい(したがって基底関数ベクトルe^{2πixξ}およびe^{st}の複素共役e^{-2πixξ}およびe^{-st}が用いられている)。



フーリエ級数がもたらした『無限級数(関数の基底)により一般的な関数が分解、再構成・再構築(再表現)されうる』というあらたなるものの見方・考え方・捉え方・発想の仕方・世界観は、集合論の基礎を築いたゲオルグ・カントールによる実無限(じつむげん)の概念との間にも重要なコミュニケーション・リンク(およびそこで働く超偉大なるテンション(超万有引力!))を有しており、数学のみならず、さまざまな分野においてその世界観にきわめて重大な影響を与えた。

また、無限級数(関数の基底)(系)の構成要素であるひとつひとつの直交関数をあらたに基底(関数ベクトル)として捉えなおすことで、計量線形性を有するユークリッド空間の概念を普遍・一般・抽象化したメタ的な概念である一般の可算(無限)次元ヒルベルト空間※※の概念へと発展した。

ここで、『関数を無限次元のベクトル(や行列(写像))である※』と普遍・一般・抽象化して、メタ的な概念として捉える世界観、換言(かんげん)すれば『ベクトル(や行列(写像))は関数概念の一般化である』というメタ的な認識こそが数学(物理学、工学一般、もちろん医療解析やわれわれの医療ロボット工学においても!)の発展の歴史のなかできわめて重要な役割を果たしてきたことに気づく。ここで行列(写像)を、ベクトルに次元を追加したもの(ベクトルの一種)だと認識・解釈することができる(世界観!がある)ことに留意(りゅうい)されたい。すなわち、『行列』は文脈に応じて臨機応変に第1義的には『ベクトル』と捉えてもよいし、もちろん、これに次元を追加実装することで第2義的には『行列』と捉えてもよい!のである。

『関数とは一つの解析的な式である』という18世紀風の世界観から離れて(Off to see the world !)物体の運動軌道など、何らかの関数値を[f(x_0), …, f(x_n)]と(有限個あるいは可算無限個の点によって有限個あるいは可算無限個の区間に分割し)順々に並べてみれば、たしかにベクトル空間(あるいは次元をさらに追加実装した行列(写像))としての分解・再構築(再表現)が可能であり※、関数における特異点はその近傍の(崖(がけ)から一気呵成(いっきかせい、カスケードに)に流れ落ちる瀧(たき)が如(ごと)き)勾配(差分)を特徴量として(上記の)ベクトル空間(あるいは次元をさらに追加実装した行列(写像))に埋め込まれることであろう(ここで、(ベクトル)空間を点の集合であると捉える世界観が重要である!ことを今一度思い起こしておこう。すなわち連続的な関数は(有限個あるいは可算無限個の点で構成される)ベクトル空間(あるいは次元をさらに追加実装した行列(写像)を被覆(ひふく)するという意味において非可算無限個の点からなる『被覆空間』となっているのである)。

※ある区間上の連続関数全体の空間は(可算あるいは非可算)無限次元と捉えることができる。実際,単項式関数1, x, x^2,‥は線形(1次)独立であり、これらの基底の線形結合で表現できれば、その関数は可算無限次元(のベクトル空間である)と捉えることができる。あるいは数直線上の点x=aにおいてのみ1となり、x≠aでは0であるディラックのデルタ抽出関数δ(x-a)を基底として用いれば連続(非可算)無限次元(のベクトル空間である)と捉えることもできよう。バナッハやヒルベルトが志向したのは、究極的にはこのような(自由で、なおかつ自在な空間の)捉え方(世界観)であろう。

一見したところ、なにも関係がないように思われる関数とベクトル(あるいは行列(写像))との間には、実に驚くべきことだが、関数のベクトル(あるいは次元をさらに追加した行列(写像))表現にもとづくきわめて偉大なコミュニケーション・リンク(およびそこで働く超偉大なテンション(超万有引力!))が存在していたというわけある。

※試しにベクトルの要素をひとつのタイルに書き込んで、これを面状(2次元的)に敷き詰めてみれば行列(写像)としての分解・再構築(再表現)が可能であるし※※、その逆もまた可能で、面に対して敷き詰められた(たとえば超音波画像における輝度値などが書かれた)タイルを引っぱがしてきて、これを線状(1次元的)に並べ直してみればベクトルとしての分解・再構築(再表現)が可能であることに留意(りゅうい)されたい。画像をベクトルとみるべきか、あるいはこれに次元をさらに追加して行列(写像)とみるべきかはわれわれの解釈・認識(世界観)の問題であり、TPOに応じて都合よく使い分ければそれでよいのである。


※※さらにはブロック化して、立体状(3次元的)に敷き詰めればテンソルとしての分解・再構築(再表現)も可能である。テンソルは3×3行列で表現でき、面に垂直あるいは平行にはたらく(単位面積あたりの)引っ張り力(テンション、応力)という直観・幾何学・野性的に見通しのよい概念を導入して、これ(物事の関係性)を簡便かつ随意(ずいい)にハンドリングしようとするものである。

(参考文献)

ラプラス変換において畳(たた)み込み積分という概念が出てくるが、英語ではConvolutionalで直訳すれば『巻き込む』という意味である。この積分はプリンタで巻き込みながら転写(てんしゃ)するというのが直観・幾何学・野性的に見通しの良いイメージで、右手(系)と左手(系)、カギとカギ穴、ハンコと印影(いんえい)のように反転ずらし(ひっくりかえして鏡像をつくってずらす)で(内積によってベクトルの相関・一致度、すなわち)重なりを見る演算であることを数式の構成が率直に表現している(率直な数学的表現が物理の本質を垣間見せる!)。

人間のDNAもこの手法によって転写(てんしゃ)・複製されており、風邪を引いたり、ワクチンなどで獲得した免疫抗体(めんえきこうたい)が侵入物であるウイルス(抗原:こうげん)をキャッチすることができるのもこのカギとカギ穴を用いた原始的だがきわめて強力な方法のおかげである。

わざわざ、複素共役(ふくそきょうやく)なる(双対:そうついとなる)数をつくって掛(か)け合わせてノルム(距離や大きさ)を計算したり、行列やベクトルを転置して、さらには複素共役までとって(双対となる)随伴(ずいはん)行列なるものをつくって対応する行と列を掛け合わせて内積をとって、あらたな行列の要素とするのも偏(ひとえ)にこの反転ずらし(ひっくりかえして鏡像をつくってずらす)で(内積によってベクトルの相関・一致度、すなわち)重なりを見る演算をしたいがためである!ここで、重なりが完全一致したときの内積の値は、そのベクトル自身の大きさ(ノルム)の平方(2乗、自乗)になっていることに留意されたい(このノルム(norm)によって規格化(normalize)された値がベクトルのなす角の余弦(cosθ)となっており、相関係数とも呼ばれる!相関係数は2つの変数の間にどの程度、直線的な(1次の)関係があるかの指標となっている。

古今東西、世の中の問題を解くためのカギの多くは(なんと!)この『反転ずらし』という簡便だが強力な(そうしてきわめて人間くさい!?)手法を基礎・基盤・土台・土俵・インフラストラクチャにして創(つく)られていたというわけである!『幽霊(ゆうれい)の正体(しょうたい)見たり!!!!』である!



近年発展の著しい畳み込みニューラルネットワークも基本的には同じ手法で輪郭形状や模様(テクスチャ)といったパターンの相関・一致度を見ている。具体的には入力画像と学習した勾配画像特徴量ベクトルとを反転ずらしで重ね合わせて内積(ドット積)により一致・相関を見ているのである。

これを画像を折りたたみながらマルチスケールかつ多(深)層で行なうことで大域的あるいは局所的なパターンをきわめて簡便かつ高精度に抽出することができ、ロボットビジョンやわれわれの医用画像処理の分野においても頻回(ひんかい)に用いられるようになってきている。

具体的に例えば臓器内に埋め込まれたがんや結石をはじめとする病変の位置と広がり、すなわち局在(きょくざい)を非常に精度よく同定(どうてい:一意にさだめるということ)して局所的にピンポイントで治療したり、ロボティック超音波診断において診断画像の適正度を評価したりするのに役立つ、きわめて優秀な抽出関数が出来上がる(われわれはこれをMe-DigIT 抽出関数と呼ぼう!)。


上記でいくつか例をみたようにフーリエ級数がもたらした『無限級数(関数の基底)により一般的な関数が再構成・再構築(再表現)されうる』というあらたなるものの見方・考え方・捉え方・発想の仕方・世界観は工学的解析(もちろん、医療解析やわれわれの医療ロボット工学)においてもきわめて重要な世界観となっている。具体的にたとえば、

われわれの医療のデジタル化(医デジ化)研究プロジェクトとは、専門家の医療技能を機能(関数)として捉えて、その基底となる関数を抽出・分解・再構築(再構成、構造化)して、医療支援システムの機構・制御・画像処理・アルゴリズム上にひとつひとつデジタル機能関数(Me-δigIT function)としてAI・ロボティックに実装しよう
とするものである。これにより、医療の質や生産性の向上が極限まで高まるものと強く期待されている。


(例)エミー・ネーターが研究を通じて道しるべとした行動原理は、つぎのようにまとめられるだろう。

『数や関数や演算どうしの関係性(つながり、コミュニケーション・リンク、そこで働く超偉大なるテンション(超万有引力))を明瞭化して、統一(一貫)・統合(包括)的に適用できるようにし、その生産性を最大限に引き出すには、それを特定の対象から切り離して、普遍・一般・抽象的に有効な(メタ的な)概念として(再)表現しなおさなければならない。』
そうしてこのオブジェクト指向的な行動原理は、デジタル化ときわめて相性が良いのである!

(参考文献)
イアンスチュアート,数学の真理をつかんだ25人の天才たち,ダイヤモンド社.

※※ヒルベルト空間は内積(ないせき)の演算を装備一式として具備(ぐび)した、計量線形(関数ベクトル)空間であるが、そこから計量(すなわち基底の直交)性を外(はず)して、定数倍の足し算(すなわち1次線形性)までを演算規則として具備(ぐび)する、バナッハ空間という(1次)線形(関数ベクトル)空間の概念もある。

ヒルベルト空間(基底が直交している内積空間の一般化)もバナッハ空間(かならずしも基底が直交していることを要求しない射影空間の一般化)も歴史的にみてフーリエ級数をその起点・原点・出発点・一丁目一番地・スターティング・ポイントとしており、可算(さらには連続)無限次元の関数空間を強く意識した概念として生まれてきたという経緯(けいい)がある。

バナッハ空間は『中身のぎっしり詰まった』完備(かんび)な実数(1次線形性を有する空間であるが直交性の概念まではこの段階ではまだ要求していないことに留意されたい(したがって、直交していなくて良いし、もちろん直交していても良い))を普遍・一般・抽象化して一般の可算無限次元へと拡張したメタ的な概念として捉えることもできる(ラーメンと麺類の関係よろしく、ときにはあえて条件をゆるめることにして(実装)解空間を拡げて見直してみることも(戦略的に!)きわめて有効だ!)。

(実装)解空間やその拡大の方法を考えるにあたっては、方程式が代数的に解ける条件に関するエヴァリスト・ガロア(ガロアは1832年、決闘による傷がもとで20歳の短い生涯(しょうがい)を終(お)えた)の理論やこれにともなう体の拡大、像空間が縮退すれば解空間が拡がることを率直に表現している線形代数学の基本定理等について深く学ぶ必要がある。ガロアはまず、『ガロア群が(可解(かかい)群という言葉によって一言でまとめられる)ある性質をもつ群であれば、その方程式が代数的に解ける』ことを示した。

つぎに、上記の逆命題(めいだい)である『方程式が代数的に解けるならば、ガロア群が可解群の性質をもつ』ことを示した。この対偶(たいぐう)命題をみることによって、『ガロア群が可解群の性質をもたないならば、方程式が代数的に解けない』ことがわかる。最後に、ガロア群が可解群の性質をもたないことを示すことによって、一般の5次方程式が代数的に解けないことを証明した。

(参考文献)中村亨,ガロアの理論,講談社.

ヒルベルト空間もバナッハ空間も一応は、可算無限次元までを対象とした概念ではあるものの有理数からの実数の析出(せきしゅつ)よろしく、離散的な基底パラメータ表現を連続的な基底パラメータ表現に置き換えたフーリエ積分公式などを観れば、本質的にはさらに連続無限次元空間へのさらなる拡張を指向(しこう)しているとも言えよう。

その空間のなかで任意のコーシー列が収束するような空間を『中身のぎっしり詰まった』完備(かんび)な空間という。『中身がぎっしり詰まって』さえいれば、大河のひと雫(しずく)、サハラ砂漠の砂粒(すなつぶ)よろしく、(イデア論的には!)極限としての解の存在が(かならず!)保証されるため、そこでは微分積分学の装備一式が有効に機能する。

ここで内積による計量(すなわち基底の直交)性の条件を外した一般の(1次)線形(関数ベクトル)空間であっても、寄り道をすれば長くなる性質(三角不等式)など、距離(ノルム、長さ)の概念を導入・実装した距離空間が構成できることに着目されたい。


距離(ノルム、長さ)の概念が導入・実装できればロボットによるフィードバック追従制御を実装することは十分に可能である。すなわち、ロボティック超音波診断・治療支援システムにおいて臓器内に埋め込まれた患部(がんや結石等)をロボティックに抽出・追従・モニタリングするうえで、かならずしも視覚センサである超音波プローブが直交していることまでは(じつはまだ)条件として要求されていない(もちろん直交していれば直観・幾何学・野性的に見通しが良くなるため、それに越したことはない)。

これについてより詳細を知るためには、(1次)線形代数学における縮小写像(しゅくしょうしゃぞう)の原理について学ぶ必要がある(このとき臓器内に埋め込まれた患部は超音波画像上において不動(ふどう)点として蝶(ちょう)の標本(ひょうほん)のごとくピンフォール(抑え込み、ピン止め)固定される)。

超音波診断装置で画像を時間軸上の一点でピン止め固定するボタンをフリーズ・ボタンと呼ぶが、空間上の一点を不動点として超音波画像をピン止め固定するためには上記のフィードバック追従制御の実装が必要になる。プロレス技のピンフォール(抑え込み)よろしくターゲットが時間軸あるいは空間上でピン止め固定された世界では、医療診断や治療がきわめて容易なものとなる。

(複数の(マルチな)世界観を巧(たく)みに活用する法)複数の(マルチな)世界観をいい所取りしながら融合的に用いて(場合によっては巧みに使い分けながら)解析を進めてゆくのは戦略的にすぐれたうまいやり方である。具体的に医用画像においては、X線CT、MRI、SPECT-CT、超音波画像など複数の医用画像診断モダリティ(modality)が存在し、それぞれにはかならず得手・不得手が存在する。これらの得手・不得手を考慮して融合的に用いることで、病巣の局在を高精度かつ頑健(ロバスト)に同定することができよう。

また、同じ極座標を用いるにしても、まずは実平面と複素(オイラー)平面を同時に設定してみて、両者の得手・不得手を考慮しながら(両にらみで)巧みに解析をすすめてゆくのも複眼視(マルチセンシング)によるきわめて有効な戦略である。なぜなら抽象化の階段を一段登って普遍・一般・抽象化してメタ的に考えてみれば、これら複数の(マルチな)世界観は上層においてはひとつながりになっており、同じモノの表裏(異なる側面)を表現している場合がきわめて多いからだ。

(知性・知能との超偉大なるコミュニケーション・リンク生成による野性・野能の変化・変容・洗練・進化法)~~~~~~~
『(衝動的に!)やらずにはおられないこと』はわれわれ人間が一個の動物の精神機構として個人個人に対して固有に与えられた天賦・天性の『野性・野能』が本質・本能的に求めるもの、いわば『天からの贈り物(a gift from heaven)』である。

われわれはこのかけがえのない天賦・天性の能力である『野性・野能』という『天からの贈り物』を『知性・知能』によって柔軟(topological)に変化・変容(transform)・洗練(sophisticate)・進化(evolve)させるべきである。換言(かんげん)すれば、『知性・知能』を『野性・野能』に従わせるべきであるという立場をとることにする。なぜなら、

せっかくわれわれ個々の動物(ここで、人間動物であることに着目されたい)に与えられた(ひとりひとりに固有の人生を全(まっと)うするための固有値・固有(関数)ベクトル(空間)を産み出すエネルギーの源泉、エンジンたる原動(能)力(属性)である!)天賦・天性の『野性・野能』という輝かしい能力(軸)を、『知性・知能』によって過度に抑制(圧)してしまったり、失ってしまったりするということは自然の摂理(providence of nature)に反しているし、まず何よりもこれ(独自の精神機構にもとづく『野性・野能』という輝かしい能力)をうまく活かしきれずにいることは生命の神髄(クイントエッセンス)を無視した、とても勿体(もったい)ないことではないか!?と考えるからである。

(例) 夢・野心・野望・欲望というものは個人個人異なる天賦・天性の『野性・野能』(もちろんこれは、『知性・知能によって変化・変容・洗練・進化した『野性・野能』であっても良い)という輝かしい能力(軸)がその時々におかれた環境(われわれ人間もまた、その環境の一部※である!)との邂逅(かいこう:出会いのこと)によって生じた超偉大なるコミュニケーション・リンク(およびそこで働く超偉大なるテンション(超万有引力!))に応じて相互モーメントや時には(バチバチと)化学融合反応を伴ないながら産み出されるべきものであり、個人個人異なる人生の(最終)目的(地)となりうるべきものである。

※人は満員電車に不平・不満を言いがちだが、自分自身も満員電車の構成要素になっていることを忘れがちである。

人工知能によってたとえその分解・再構築・再表現が可能であったとしても、ひとりひとり異なる多種多様、さまざまな夢・野心・野望・欲望(これらはわれわれ個々に人生を全(まっと)うするための固有(関数)ベクトル(空間)をもたらす)をその個人と全く同様の熱量(人生を全うするための固有(関数)ベクトル(空間)に対応する人生を全うするための固有値※)をもって同様に描き続けることは困難であろう。すなわち、ある個人がおもしろいと思ったことを(そのままでは)赤の他人である人工知能が赤の他人である我々のために自発的にとことんまで、どんどんやろう!などとはけっして思わないだろう。

なぜならその個人を中心として世界を観るとき、その個人と全く同じ天賦・天性の『野性・野能』をもつわけではない人工知能にはモチベーションの初期(パラメータ)値としてそう(設定)するべき必然性(ひつぜんせい)が全く存在しないからである(モチベーションの固有値・固有(関数)ベクトルを天から与えられるべきはいつも個人個人である!)。

※一般に(1次)線形代数ではある固有値に対応する固有(関数)ベクトル(空間)という表現が頻回(ひんかい)に用いられる。これは線形代数の固有値問題を解く手順が、特性方程式を起点として、まずはその(特性)根を求めて固有値たりうるかどうかを判断する。つぎに、これに対応する固有(関数)ベクトル(空間)を同定するというステップを踏むためである。異なる固有値に対しては異なる固有(関数)ベクトル(空間)が対応する。
 
他方、われわれの時系列的な感覚としては固有値よりも固有(関数)ベクトル(空間)のほうが先行しており、より根源的なモノと捉えているように思われる(感ぜられる)。固有(関数)ベクトル(空間)がまずは生じてつぎに、これに対応する固有値が果たしてどれだけ宿り、付随(ふずい)して生じてくるだろうか?と考えるほうが我々にとってより自然な思考の順序に思われる(感ぜられる)からである。

(例)現代数学の教科書においてはまず『行列』が登場し、つぎに『行列式』が登場するが、歴史的には『行列』よりも『行列式』のほうが先に登場した。日本が世界に誇る和算家である関孝和(1642-1708、せきたかかず)が行列式を生み出したのは、『2つの方程式が同じ解をもつかどうかを判定する式』である『終結式(しゅうけつしき)』をハンドリングしたいがためであった(シルヴェスタの終結式とも呼ばれる)。終結式=0の場合には、2つの方程式が共通の解(零点)をもつことになる。

(参考)
竹内淳,高校数学でわかる線形代数,講談社.

(例)自分のどうしてもやりたいこと(固有(関数)ベクトル)がまずは生じて、つぎにこのために必要な固有値(熱意・人・モノ・カネ・研究プロジェクト・研究室・企業などのコンビネーション)の工面(くめん)の必要性が(必然的に!)付随(ふずい)してくる。すなわち、『あんなこといいな♪』と考えるのび太君とそれをなんとか一般化n次元ポケット(時間・空間・人間のなかのコンビネーション)から道具を工面して実現しようとするドラえもんとの関係である。

固有値と固有(関数)ベクトルをひとまとめにして、固有モードと呼ぶこともある。固有モードは機械系においてシステムの固有振動数(電気系においては固有周波数)を扱う際などに頻回(ひんかい)に利用されている重要な概念であり、医療ロボティクス分野においても治療用超音波(HIFU)の発生や、ロボットの安全・安心・安定的で思いやりのある制御においてもまた、とてもとても重要な概念である。

固有(関数)ベクトル空間を拡張した概念として一般化固有(関数)ベクトル空間(T不変部分空間)と呼ばれるものがある。オペレーション(T)が何度加わっても、固有(関数)ベクトルおよび固有(関数)ベクトルをもとに拡張された一般化固有(関数)ベクトル空間の基底の線形(1次)結合はしぶとくその空間の住民でありつづける。

心のなかにけっして折れることのない一本の槍(人生を全うするための固有(関数)ベクトル空間)を宿した人間はその空間の住民として、とにかく『しぶとくて一途(な愛すべき引きこもり、数学の言葉でいうところの群やイデアル※・体)』なのだ。空間どうしが一般化固有(関数)ベクトル空間(T不変部分空間)でお互いに引きこもってしまい、原点を除けば互いに交わりがない関係にある場合、それらの空間は互いに直交補空間の関係にあるという。

※『加法』(和)および『乗法』(積)と呼ばれる二種類の技(演算)を備えた土俵(したがって、加・減・乗までの演算が実装され、その動作が保証された代数系)である環(Ring)Rの部分環Iをイデアルとよぶ。すなわち、マトリョーシカ(構造)よろしく、土俵(上の技の集合)の部分(集合)が、これまたひとつの土俵(上の技の集合)になっている(という再帰的な入れ子構造である)。再帰的ではないが、ユークリッド運動群のなかに、並進運動群と回転運動群とが埋め込まれている(入れ子構造となっている)こととSimilar (analogous, 類似)である。

I⊂R

(まずは)好きなことをしよう(固有(関数)ベクトル(空間、群イデアル・体、土俵(上の技の集合))を見定めよ!)。
(つぎに)していることを愛そう(固有値を高めよ!)。 
ピーター・フレミング
 
Find and do what you love (at first), (next) love what you do. 
Peter Fleming 

 君の魂の中にある(生命の神髄(クイントエッセンス)にもとづく)英雄(人生の固有(関数)ベクトル空間、群・イデアル・体、土俵(上の技の集合)たるHeroの道)を放棄(abandon)してはならぬ。
どんな状況であれ(Under no circumstances)、 
自分を卑下(despise)することなかれ。 気高くあれ(Be noble、人生を全うするための固有値を高めよ)
我々の心に宿す神性(divinity)は、 (人生を全うするための固有(関数)ベクトル空間が)絶える(縮退する)ことのない不滅存在(constant & immortal being)である(ことを我々自身に要求する)。
魂の中にある神(の道)を見定めよ(Determine the god in your soul)。 
Friedrich Wilhelm Nietzsche

たった一度でいい。本当に魂が震えるほどの悦び(人生レベルでの感動体験、共振現象!)(何かに対して)味わってしまったのなら、その人生は生きるに値する。悲しみ、苦しみを引き連れて『よし、もう一度この人生を』と言いうるだろう。
(Friedrich Wilhelm Nietzsche)

Hero Mariah Carey
 
 
他人の意見(を自分軸で評価することもせずにただ単に鵜呑(うの)みにすること)で(生命の神髄(クイントエッセンス)にもとづく)自分のほんとうの心の声(自分軸)をかき消してはならない
(Steve Jobs)
 
他人(軸で)の評価が気になってしまうことで自分自身が本来やりたかったことが何もできないでいることがある(そうしてこのような状況はとてもとてももったいない状況ではないか!)。そういう場合には、私には腹にくくった(決意の一本)槍(やり)として命をかけられる○○(人生を全うするための固有(関数)ベクトル空間)があり、(慣性力をそのままに)そこを突き進められているのならば人にどう思われているかなんてことはまったくもって知ったことではない、どうでも良いことだ(もちろん結果として好かれていればさらによりうれしいが、それは自身の人生の本質とは言えない)と捉えられれば楽になる。すべての人から好かれることは社会としてむしろ健全なこととはいえない。(真実の人生を全うするためには)時として嫌われる勇気は『必要悪』だ。

また自己嫌悪というものはうつ病のトリガーにもなりうるので特段の注意が必要である。そういう場合には、私には腹にくくった(決意の一本)槍(やり)として命をかけられる○○(人生を全うするための固有(関数)ベクトル空間)があり、(慣性力をそのままに)そこを突き進められているのならば自分のことが好きか嫌いかなんてことはまったくもって知ったことではない、どうでも良いことだ(もちろん結果として好きであればさらによりうれしいが、それは自身の人生を全うするための本質とは言えない)と捉えられれば楽になる。真実の人生全うするためには)時として嫌われる勇気は『必要悪』だ。

これに関して(あるいはわれわれの人生のさまざまな意思決定の場面(シーン)において)ビュリダン(ブリダン)の驢馬(ロバ)の寓話(ぐうわ)は多くの示唆(しさ)を与えてくれる(ロボットの運動学における意思決定の問題においてもよく引き合いに出される)。自身の野性・野能を磨いて『(時として)他人から嫌われる勇気(必要悪)をもって自分の欲する所へゆき、自分の欲することをなす(真実の人生を生きる)べき』であろう。二兎を追う者は一兎をも得ず(迷いがある人間は弱い!)、右のエサをとるか、左のエサをとるかの2択ではなく、その上位にある(どんなエサであろうが取りたいエサを取りにゆくという)決断をする(ことによって覚悟をさだめ、迷いをなくす!)かしないかの2択(胆力:たんりょく)こそが生存(survive)するうえで本質的かつ決定的に重要である。餓死(がし)してはたまらない、、、

(例)コロナ禍は医療のデジタル化においては、けっして悪いことばかりではなかった。これまで、対面診療一択であったところが、オンライン診療やその先にある、AI・ロボティック診療といったところが現実(実用)的な医療提供手段の選択肢としてまじめに検討されるようになってきた。どのような診療形態(モダリティ:modality)であろうが、質の高い医療を破綻(はたん)させることなく安全・安心・安定的に思いやりをもってサステナブルに提供しつづけることができるかできないかの2択(胆力:たんりょく)こそが患者の生存(survive)にとって本質的かつ決定的に重要である。

(例)意思決定を行なう際には、現在対象としている階層からひとつ上位のメタ(抽象)的な階層に昇ってみて、あるいはそこから横に半歩ずれてみて、さらにはそこでのコンビネーション効果をも包含した意思決定をおこなうことをも検討してみてもよいだろう((実装)解(零)空間を拡げて考えてみることが戦略的にきわめて重要である!)。なぜなら現在直面している問題の根源が、いつも目の前に顕在化(けんざいか)しているわけではなく、(階層や次元の異なる)思いもよらないところに(特性根や(実装)解として!)存在している可能性は多分(たぶん)にあるからである(問題の特性根や(実装)解はときに思いもよらぬところに存在する!)。

(例)エミー・ネーターが研究を通じて道しるべとした行動原理は、つぎのようにまとめられるだろう。

『数や関数や演算どうしの関係性(つながり、コミュニケーション・リンク、そこで働く超偉大なるテンション(超万有引力))を明瞭化して、統一(一貫)・統合(包括)的に適用できるようにし、その生産性を最大限に引き出すには、それを特定の対象から切り離して、普遍・一般・抽象的に有効な(メタ的な)概念として(再)表現しなおさなければならない。』
そうしてこのオブジェクト指向的な行動原理は、デジタル化ときわめて相性が良いのである!

(参考文献)
イアンスチュアート,数学の真理をつかんだ25人の天才たち,ダイヤモンド社.

(例)ラーメンとそばを食べるかで悩んでいるときには、その上位にある麺(めん)類を食べる(ああ、自分は麺類を食べたかったのか!)というメタ的な概念を考えて、さらには和・洋・中に展開すれば、うどんにしてもよいし、パスタにしてもよい。さらには、コンビネーション効果を考えて、健康のためにサラダもついたうどん定食を食べるのも選択肢としてアリだ!さあてどれを食べようか、、、

目の前の人が自分に対して怒っているときには、自分自身が原因である可能性もあるにはあるが、どこかからぶつけられた怒りをそのまま自分に転化(てんか)してぶつけてきている、言わば『八つ当たり』の『とばっちり』である可能性も多分(たぶん)にあるからだ。これを真に受けるべき理由など全くない

ためしに10円玉を5枚並べて、端っこの10円玉をはじいてみよう。反対側の端っこに置かれた10円玉が飛ばされることに気づけるはずだ。はじかれるのを避けるためには、たとえば10円玉をボンド(絆)でくっつける手がある。これは人間社会においてコミュニケーション・リンク(およびそこで働く超偉大なるテンション(超万有引力!))をうまく活用してセキュリティ・ネットワーク化する(同盟を組む)ことの重要性を如実(にょじつ)に示している(Groundを大きい所にとることで、ノイズの影響は低減できる!)。

(参考文献)
Julia Cameron, ずっとやりたかったことを、やりなさい, サンマーク出版.
有本 卓, 関本昌紘, 巧みさとロボットの力学, 毎日コミュニケーションズ.

Living with your own unicorn (original color) !

好きこそ物の上手なれ

Who likes not his business, his business likes not him.

と考えるからだ。すなわち、天賦・天性の『野性・野能(というエンジン)』と『知性・知能(というエンジン)』とは双対かつ相補的な『互いに(テコとなり)互い(のエンジンの固有値)を高め合う(超偉大なるコミュニケーションによって互いにリンクさせることでモーメントを与え合い、時には(バチバチと)化学融合反応(イノベーション)を産み出すべき)』関係にあるというモノの観方・考え方・捉え方・発想の仕方・世界観である!
『(広義の)知性・知能』の位相構造:
『感性・感能』⇔『野性・野能』⇔
『(狭義の)知性・知能』⇔
『悟性・悟能』⇔『理性・理能』

人間の教養とは野性・野能を失うことではなく、(知性・知能との超偉大なるコミュニケーション・リンク生成によって)野性・野能を(変化・変容・)洗練(・進化)させることである(知性・知能との超偉大なるコミュニケーション・リンク生成による野性・野能の変化・変容・洗練・進化法)。

岡部伊都子

数学というものすごく厳密な学問においてさえ、究極のところ正しいか正しくないかは直観(幾何学、野性)的信念に頼らざるを得ない(玉野研一, なっとくする無限の話, 講談社)

背理法を認めるヒルベルトらの形式主義では証明できるが、ブラウワーらの直観主義では証明でない数学の問題が存在する。(例)a^bが有理数となるような無理数a,bが存在することを証明せよ。

(参考文献)

正しいか正しくないかを最初に判断しようするとビュリダンの驢馬(ロバ)よろしく迷いが生じて動けなくなり、時間を浪費してしまうことには注意が必要である。間違っていてもよいので自分なりの仮説を立ててみて、それを信じてまずは一歩を踏み出し、とにもかくにも動い(運動し)てみることが得策である(運動を継続している(運動ポテンシャルエネルギーを有している)こと、それ自体に価値がある!)。たとえ誤っていたとしても周囲からの修正(フィードバック、気づき)が必ず得られる(それで十分ではないか!?)。
 
正しいかどうかより、常に考えているかどうか(常に自分なりの答えが用意できており、即答できる状態にあるかどうか)のほうが現実的に意思決定を行なううえでははるかに重要であろう。 

また、せっかく一歩を踏み出したのなら、途中でその歩みを止めるべきではない(運動を継続している(運動ポテンシャルエネルギーを有している)こと、それ自体に価値がある!)。マラソンしかり、寝たきりの病人しかり、歩みを止めた瞬間につぎの一歩を踏み出すことが精神的にも肉体的にも著しく困難になってしまうからだ。せっかくそれまでに少しづつ高めてきた慣性力(運動ポテンシャルエネルギー)を(継続的に)推進力に付加することができなくなってしまい、結果として効率よく(慣性軌道上を)前進(航行)することができなくなってしまうのだ。これは(生命の神髄(クイントエッセンス)を無視した)とてももったいない行為ではないか。
 
(真実の)人生を全(まっと)うするためのの固有モード(固有値・固有(関数)ベクトル)に従って、(慣習化して継続的に)走り続けていればこそ、たとえ間違った方向に進んでいたとしてもフィードバックが必ずかかり、少しづつ軌道が修正されてゆく。歩みを止めず(慣習化して運動ポテンシャルエネルギーを維持しながら)どんどんと、とことんまで突き進み、(継続的に)走り続ける姿勢をできうるかぎり維持し、これを定常とすることこそが戦略的にもきわめて価値が高いのである。

生命の神髄(クイントエッセンス)に従って)突き進み、(継続して)走り続けているからこそ勢いをそのままに、慣性力(運動ポテンシャルエネルギー)を推進力に(慣習化して)どんどん、どんどん添加(てんか)して上乗せしてゆくことができ、結果として効率のよいフィードバックを得ながら(継続的に)前進することもできるのだ。これは固有モード(固有値・固有(関数)ベクトル)に従って『(慣習化して継続的に)とことん突き進む(戦略をとる)人』に対する人生(を全うするため)のボーナス(ご褒美)である!
 
普通の教師は、言わなければならないことを喋る。
良い教師は、生徒に分かるように解説する。
優れた教師は、自らやってみせる。
そして、本当に偉大な教師というのは、
生徒の心に火をつける。
William Arthur Wardアメリカの作家・学者・牧師・教師,1921~1994

(例)高炉は15~20年は生産を続けることを前提に稼働しており、一度休止して火をとめてしまうと再稼働までに長い時間を要する。人間の熱意も同様であろう。
 
(例)マグロは泳ぐのを止めると窒息してしまうため、いっときも休むことなく泳ぎ続ける必要がある。

(例)ターゲットにロボットを追従させようとするとき、慣性力にもとづくターゲットの現在の速度(運動)を予測して、同じ速度(運動)で動かなければどうしても差をつけられてしまう。このとき位置のフィードバック制御のみを実装したのでは、ターゲットとの位置の偏差が生じてこれをまずは観測してからでないとロボットは一歩も動けない(しかしながらこれでは、追従ターゲットにどうしても差をつけられてしまう)。

これに対してフィードバック制御に加えてターゲットの慣性力にもとづく速度(運動)をうまく予測することができれば(まずは、等速直線運動を仮定して1次近似で予測をすることが簡便かつ有効である)フィードフォワード制御(2自由度制御とよばれる)を実装することで追従ターゲットとの偏差が生じる前にロボットは追従動作を開始することができる。

医療ロボットによる臓器内に埋め込まれた患部の追従においてもこれは同様で、慣性力のみならず呼吸に応じた横隔膜の概周期的な運動をも考慮して臓器の速度(運動)を高精度に予測できることが追従戦略上、きわめて重要である。

(参考文献)Motoyasu Sano, Norihiro Koizumi, Yu Nishiyama, Jiayi Zhou, Takumi Fujibayashi, Momoko Matsuyama, Miyu Yamada, Tomohiro Ishikawa, Arashi Katsuragi, Sho Monma: Construction of organ rotation estimation system using deep learning, 37th International Congress and Exhibition on computer assisted radiology and surgery (CARS 2023), International Journal of Computer Assisted Radiology and Surgery (IJCARS), Vol.17, Suppl.1, pp.S98-S99, 2023.  https://doi.org/10.1007/s11548-023-02878-2
 
(例)本を読むときの姿勢も同様である。わからない『点』がいくつか現れることはむしろ通常の(健全な)ことであり、その都度、いちいち立ち止まっていたのでは、せっかくの慣性力(運動ポテンシャルエネルギー)をうまく活かしきれているとは言えない。まずは述べてあることを『点』として記憶しておいて、慣性力(運動ポテンシャルエネルギー)を活かして先に進むべきであろう。そのうえで適当(適切)な時期に読み返したり、その『点』の近傍を詳しく説明している書物にあたることで、『線』あるいは『面』としてしっかり・くっきり・はっきりと理解できるようになることを目指すべきであろう。

テキストや論文など、難解な文章を読むにしても、まずは大局的な文脈を把握(掌握)するための感性・感能(視覚野と超解像度の補間的想像力)に頼った読み方から、局所的な筋道についても国語的・数理的・情報科学的な論理に基づいて精密・精確に深掘り検証するための理性・理能的な読み方まで何パターンか用意しておいて、これらをTPOによって使い分けることが効果的であろう。

難解で込み入った文章になればなるほど、1度ですべてを理解できる場合などほとんどないであろう。このような時には芝生を刈るように、何度も何度も繰り返し繰り返し刈(か)る(読む)ことがきわめて有効である。テキストを7回繰り返して読むことをルーチンにしている人もいるという(さらには魏(ぎ)の董遇(とうぐう)が弟子に何度も読書することの必要性を説いた読書百遍(どくしょひゃっぺん)※という熟語もある!)。泥臭(どろくさ)くても、まずは高い芝、つぎにもうすこし低い芝をと何度も何度も繰り返して刈(か)る(読む)ことが有効である。

※京都の地名『百万遍(ひゃくまんべん)』の名は交差点の北東に位置する知恩寺(ちおんじ)の通称『百萬遍知恩寺』に由来する。元弘元年(1331年)に疫病(えきびょう)が大流行したときに、知恩寺の八世善阿空円上人(ぜんあくうえんしょうにん)が百万遍(回)念仏を唱えたところ疫病が収まり、後醍醐天皇から百万遍という号を賜ったと伝えられている。なお庭園で有名な知恩院(ちおんいん)は別のお寺でであり、おいしい抹茶(まっちゃ)を飲むことができる。

これは、『カギとカギ穴』よろしく、画像などのデータ(カギ)をひっくり返して鏡像(カギ穴)をつくって重ね合わせながらさまざまな階層(レベル)で読み込み、テクスチャ(模様)や形状の一致度を見るために画像(の片割れ)どうしをひとつのベクトル(われわれはこれをMe-DigIT画像ベクトルと呼んでいる)とみなして、その内積をとったり(完全一致していれば、内積の値はそのベクトルの大きさ、すなわちノルムの自乗になっている!)、(時間的・空間的・人間的に)フォーカスをずらしたりしながら足しこんだり、(ぼかしてみたり、エッジを強調してみたり、入力画像(カギ)ベクトルに応じていろいろさまざまなフィルタ・カーネルを画像特徴(量)重み(勾配)(カギ穴)ベクトルとして創(つく)りながら、これを学習・調整してゆく畳み込みニューラルネットワークによる深層学習の方法と類似(analogous)である。

畳み込み積分は内積(ないせき)という演算のもつ特長をうまく援用(えんよう)した処理と言えるが、外積(がいせき)のもつ効用についてもここで今一度、留意(りゅうい)しておこう。数学的には内積は面内の2つのベクトルの並進(姿勢)一致で極大化(cos(0)=1)するかけ算であるが、力学的に力(F)・位置(移動)ベクトル(dx)により仕事(量)(これはエネルギーの単位をもつ)を表現するのに好都合な演算としてまずは導入された。

他方、数学的には外積は面内の2つのベクトルが直交することで極大化(sin(π/2)=1)するベクトルどうしのかけ算であるが、力学的にモーメント(トルク)=(回転中心から力が印加される点までの位置ベクトル(r))×力(F)を計算するのに好都合な演算として導入された。モーメント(トルク)が加わると回転の運動量(角運動量)が変化する。かけ算の結果として得られるベクトルは面外の法線(2つのベクトルの方向を一致させる操作を行なう際に使う回転軸)方向(右ねじが進む方向が正)を向いている。

力学的にまとめると、2つのベクトルの片割れを位置(移動)ベクトル、もう一方の片割れを力と捉えた場合、並進力のなす仕事(量)が内積で(ポテンシャルあるいは運動)エネルギーに変化をもたらし(逆に、エネルギーを潜在的な仕事能力(量)として(再)定義することもできる)、回転力(モーメント、トルク)が外積で回転の運動量(角運動量)に変化をもたらす(もちろん、回転運動のエネルギーは、たとえば電気自動車のモータ(回転子)のように回転力(モーメント、トルク)と回転量(角度、ラジアン)の内積によって潜在的な仕事(量)として表現することもできる)。

『必要は発明の母』よろしく、内積や外積をはじめとする数学的概念は、もとはと言えば物理的現象を明解に説明したいがために導入されてきたものである。この点にはつねに留意(りゅうい)が必要であろう。内積・外積よろしく、本を読むときにも、行(面)内のみならず、行(面)外(間)を含めて心眼(しんがん)を以(もっ)て読む(空間をベクトルではなく行列として複眼的に捉える!)ことができるならば独自の創造(想像)空間が無限(次元)の大いなる、限りのない豊かな広がりをもっていることに気づくことであろう。


ここで慣性力(運動ポテンシャルエネルギー)も手伝って前者の読み方は後者の読み方に比べて10倍以上のスピードを出せることも頭の片隅に入れておくとよいだろう(GPUはCPUの数倍~100倍以上の演算速度を出せるのだ!)。変速ギア搭載の自転車よろしく時間があるときには、低速・高トルクのギア(歯車)で、厳選した素材を念入りにじっくりと深く味わい楽しむ。他方、時間がないときには慣性力(運動ポテンシャルエネルギー)をそのままに、高速・低トルクのギアに切り替えて読む。このようにTPOに合わせて読み方を自在に切り替えられるようにしておくとより良いだろう。

具体的に高速・低トルクな読み方としては、なるべく感性・感能(視覚野と超解像度の補間的想像力)による図解に頼って次の展開を予想してイメージとして描きながら、その予想が合っているかどうかを答え合わせをするつもりで文章を読み進めてゆく方法がオススメである。ここで予想があっているかどうかはさして重要ではない。

予想の際にあれこれと次の展開について頭のなかで映像化しながら想像をめぐらすという行為自体にこそ意義があり、自身の創作活動にとってもきわめて有益なのである。一流の通訳者は言葉をただ単に逐一変換しているわけではなく、視覚野と補間的想像力をうまく駆使(くし)して自身の頭の中で超解像度の映像として状況をうまく再構築・再描写したうえで、他言語によってそれをあたかも実況中継しているかのようにTPOH(Time, Place, Objective, Human)に応じて臨機応変に説明することで自然な訳をリアルタイム(制限時間内)かつ高速に創り出してゆくのだという。

このあたりの技法は一流のスポーツ選手の視覚野の働き、お笑い芸人の話芸、作家の創作活動とも相通じるものであろう。視覚野を単なる目でみた映像を処理する装置として使うだけではもったいない。GPGPU(General Purpose computing with Graphic Processing Unit)よろしく、工夫によってさまざまな用途に応用展開するべきものであろう(日頃から考えつづけていた課題で、散歩をしているときや、電車に揺られているとき、シャワーを浴びているときなどにふとすばらしい解決策が浮かぶことがあるのも、潜在意識レベルで視覚野がGPGPUとしてずっと働いてくれているおかげであろう)。

(例)DNAの進化の歴史を紐(ひも)解けば、野性において獲物を抽(検)出して追従する、あるいはモニタリングするという、視覚野におけるリアルタイムな追い駆けっこの高速演算処理を人類を含む動物が生存するために永(なが)きにわたって延(えん)々脈(みゃく)々累(るい)々と繰り返し行なってきたことに気づく(すなわち、追い駆けっこは生命活動において本質的行動である)。

この事実を踏まえれば他の野性動物と同様に人間の脳においても感性・感能(視覚野と超解像度の補間的想像力)に頼ったほうが理性・理能に頼るよりも、より高速に大量の演算を一度にこなすことができるということにも得心(とくしん)がゆくであろう。

(例)危険を察知するという点では、音(聴覚野)の役割もきわめて責任重大である。音は、外耳→中耳→内耳→蝸牛神経(聴神経)→脳幹→一次聴覚野(側頭葉)の順に伝わる。動物は、太古の昔から、オオカミの遠吠えなど、危険な音を聞き分けて、危険から遠ざかる(距離を置く)ように行動してきた。人間においても同様であり、さまざまな音によって不安や胸騒ぎを敏感に感じる場合も多い。超音波診断においては音の反響を視覚化することでコンクリートの亀裂や臓器内に埋め込まれたさまざまな病変部位を直観的に見通しよく捉えることで危険を察知している。

(例)お笑い芸人などのプロの噺家(はなしか)はシーンを頭に描きながら、いままさにその場にいるかのように話をすることができるという。言語中枢(げんごちゅうすう)にある言語野(げんごや)のみならず視覚野におけるリアルタイムな追い駆けっこの高速演算処理をも言語処理へと応用展開することで感性・感能(視覚野と超解像度の補間的想像力)に頼った話し方がうまく機能している一例と言えよう。直観的なイメージを描けることは生産性を向上するうえでかくも重要である!

健全な精神は健全な肉体に(こそ)宿る
古代ローマの詩人ユヴェナリウス

強なくして用なし、用なくして美なし、美なくして建築ではない!
ウィトルウィルス(2000年前のローマの建築家)が建築十書において

感性⇔(マクロレベルでの)物理的現象
理性⇔数学的現象

感性と理性の間には鋭い亀裂(きれつ)・乖離(かいり)・懸隔(けんかく)が生じて当然であると考えよう。その際、その時々においては(クイントエッセンス(生命の神髄)たる)感性に理性を従わせるほうが人生戦略としては賢明であろう(感性ファースト)。なぜなら感性は(多かれ少なかれ)慣性を有しているからである。このため急激な変化には即座に(instantly)対応・追従することができず、理性に感性を従わせようとすれば時に精神のバランスが崩壊してしまうことにもなりかねないからである。

(例)都会の時間は田舎の時間よりも早く流れ、時にせわしないと感じてしまいがちである。またそのことが知らず知らずのうちに無言のプレッシャーを都会の人間に与え、日々の生活に疲れを感じさせる一因となっているのかもしれない。

具体的に都会の風景には田舎の風景に比べて、人の流れや土木工事の音など、さまざまな変化・動きがあり、人間の五感がその変化・動きという刺激に引っ張られ(アトラクトされ)、それらをいちいち捉えて、そこから時間の経過を無意識のうちに推察してしまいがちである。

こういう時には精神衛生上、耳栓をして目をつぶる(アイマスクをする)図太さをもつのが吉(よし)である。日光東照宮の叡智(えいち)の三猿(さんざる、さんえん)よろしく時にはあえて『見ざる聞かざる言わざる』に徹っして英気を養うことも必要だ。(英気を養うための時にはあえて『見ざる聞かざる言わざる』法)

すなわち理性では一歩前進できるところであったとしても、感性に従ってあえて鈍感に、はやる気持ちをおさえつつ半歩の前進にとどめておく、言わば『(日本人初のメジャーリーガーの野茂英雄投手よろしく!)戦略的スロースターター』であるほうが賢明なのである!他方、中長期的な観点からみれば理性によって感性を少しづつ変化・変容・洗練・進化させることを検討してもよいであろう。

われわれは何事においても(もちろん人生においても!)その本質・骨格が低周波成分にこそ顕(あらわ)れる(鈍感力が重要である!)ことを経験的に知っている!そうしてそれらは、sparseにmodelingされうる!すなわち、直観的(幾何学、野性的)に見通し良く単純・明解でありうる。

(例)習うより慣れよ
 
その場合においても、あくまで(われわれを物理的に拘束・支配している)慣性の法則に従いながら少しずつである(精神のバランスを崩してはならない!健全な精神は健全な肉体にこそ宿るのだ!そうして肉体は慣性の法則による制約を受けるのが宿命である)。慣性ゼロの画像追跡処理による追従(ただし、画像とりこみや画像追跡処理にともなう位相(の)遅れは生じうる)に対してロボットによるフィジカルな身体性をともなう追従では慣性の分だけ位相が遅れてしまうのだ!(生命の神髄(クイントエッセンス)たる)感性は慣性の分だけ理性よりも(若干:じゃっかん)スロー・スターターなのだ!

新幹線やF35戦闘機でさえ慣性・粘性・剛性といったインピーダンス・パラメータによる運動の拘束からは逃れられず、徐々に加速/減速せざるを得ないのである!急発進や急ブレーキは危険である!(医療・バイオ・福祉ロボットのように生体に接触して動作(相互作用)するロボットを安全・安心・安定的に思いやりを持って運動制御(motion control)する際においてもインピーダンスの制御はきわめて重要である!)

理性は慣性・粘性・剛性(インピーダンス・パラメータ)やプランク定数(h =6.6261×10-34ジユール・秒)の制約から開放されているため、その変化・変容は数学的現象として随意(自由自在、at will)である。このため、感性に理性を従わせることは造作(ぞうさ)もないことに着目されたい。

他方、理性に感性を従わせることは一般に困難をともなう場合が多いということをわれわれは経験的に知っている(慣性のあるロボットが思い通りに動かずに、特に高速な運動を行なわせようとすると幾何学に基づいた運動学に加えて慣性・粘性・剛性、さらには遠心力、コリオリ力、並びに曲率項※(centrifugal force)まで考慮した動力学に基づいたより高度な制御理論が必要になってくる所以(ゆえん)でもある!また車やバイク、電車などが急には止まれず、子供の遊びで落とし穴(pitfall)が、サッカーやバスケットボールなどのスポーツ競技においてフェイント動作(feint operation)が有効に機能する理由でもある!)。

※遠心力、コリオリ力、並びに曲率項は角速度ω 一定の回転座標系に対して現れる慣性力の一種である。
(参考文献)
https://humans-in-space.jaxa.jp/faq/detail/000706.html

(例)プランク定数h =6.6261×10-34ジユール・秒をほとんどゼロとみなしうる(エネルギーと代表的な運動周期との積ET>>hであり、無限の相(分割)(ET/h~∞)を仮定しうる十分に『アナログ的』な)力学系では力学的現象をニュートン力学でハンドリングしたとしても大きな齟齬(そご)は生じない。

他方、原子内の電子のエネルギーEは10-17Jの程度で公転時間Tは10-16sの程度と極小であるのだから,その積EThとなり(物理的限界として、もはや無限の相(分割)を認めることは困難な状況となり)ニュートン力学との大きな乖離(かいり)が生じてしまうためこれを適用することにはこの世の現象を説明するうえでどうしても無理が生じてしまい、(有限の相でデジタルにハンドリングしうる)量子力学というあらたな力学系(世界観)を導入する必要がある。

物理学博士の友人によれば物理学者のスタンス(stance)はまさしくこのスタンスであり、数学の健全なる部分を扱うのが物理学者であるという。他方、数学の病的なる部分の扱いについてはありがたいことに蛇(じゃ)の道は蛇、餅(もち)は餅屋で数学者が担(にな)ってくれているのである。

数学的現象も物理的現象もいずれも人間の直観(幾何学、野性)的信念をその起点・原点・出発点(starting point)・一丁目一番地・基礎・基盤・土台・土俵(infrastructure)・根本・根幹とするが、枝葉花(果)実については論理的矛盾がないのであれば自由な発想のもとで新たなモノを創造し、随意(自由自在、at will)に展開しうるというのが数学者のスタンスであり、数学のプロの世界観である。数学の本質はまさにその発想の自由さにこそある!

(例)数学といえども絶対的真理というわけにはゆかず、ある公理(系)(明示されたいくつかの前提となる命題(数学的主張、ユークリッド幾何学の場合は5つ))を基礎・基盤・土台・土俵・インフラストラクチャーとして人間の直観(幾何学、野性)的信念にもとづいて定めた後、そこから導出される真理(命題や定理)の集合をまとめたものにすぎない(公理的集合論)。

(例)論理性に立脚する数学は、定義・定理が重要で、わずかの矛盾も許容されない。果たしてそれが絶対的真実であるのか、ある条件(土俵、台、定義域)のもとでのみ成立する事柄であるのかは十分に検討し尽くされなければならない。三角形の2辺の和が他の一辺よりも大きいという主張は、非ユークリッド空間においてはとても鵜呑(うの)みにはできない主張となってしまう。

(参考文献)
都筑卓司、トポロジー入門、講談社.

(例)数学においてもその進化の歴史を紐(ひも)解けば、まずは直観(野性)的信念にもとづくユークリッド幾何学が発達する。数学という学問を生み出した人類がDNAの進化の歴史のなかで長い間、野性・野能をその根本・根幹にしてきたのだから当然といえば当然である。

つぎに17世紀のルネ・デカルト(René Descartes、1596年3月31日 - 1650年2月11日)およびピエール・ド・フェルマー(Pierre de Fermat、1607年10月31日から12月6日 - 1665年1月12日)による座標系の発明により、幾何学的図形が数式で表現され(座標系には直交座標系、極座標系、円筒座標系などさまざまある)、 代数学と結びつく(解析幾何学とよばれる)。直線や平面(さらには一般のn次元ユークリッド空間に埋め込まれた(超)平面、平(たい)らかな空間)を1次(線形方程)式で表現することこそ(1次)線形性の認識の起点・原点・出発点(starting point)・一丁目一番地である。※

※『(原点を通る(斉次な))直線』を同じく、『(原点を通る(斉次な))直線』に写す、『線形写像(の学問)』が『線形代数学(linear algebra)』という学問の名前の由来であり、その名称からは浮世絵(うきよえ)のごとく美しく甘美(かんび)で洗練された抽象的な雰囲気こそ感じられるものの、その抽象さゆえにいささか素人にとっては足場がフワフワとしたものに乗っている感じがするかもしれない(何をするにしても足場(基礎・基盤・土台・土俵・インフラストラクチャ)がしっかり・くっきり・はっきりとしていることは重要だろう!)。

このように感じられるときには線形結合、線形独立は1次結合、1次独立といった具合に『線形』を『1次』で読み替えるほうが、多少泥臭くは感じられるもののわれわれにとっては工事現場よろしく、より具体的で足場がしっかりしている感じがして直観・幾何学・野性的に見通しよく、単純・明解に理解ができ、安全・安心・安定的で思いやりがあり、腑(ふ)にも落ちやすいであろう(あるいは抽象化の流れと、具体化の流れとを併せて表現した『線形1次』という呼び方も如意金箍棒(にょいきんこぼう)よろしく絶妙(ぜつみょう)であろう)。

余談だが、デカルトは座標系の発明を論文として発表したが、フェルマーはしなかった。このため、現在の座標系はフェルマーが考案したものにより近かったにもかかわらず、デカルトの座標系とよばれることが多い。本来はデカルト・フェルマーの座標系と呼ぶべきであろう。デカルト座標系は英語ではCartesian coordinatesと呼ばれる。

デカルトの『デ』が入っていないので、日本人が国際学会などで話す際にはあやまって『デ』を入れて発音してしまわないように気をつける必要がある。私も初めての国際会議発表でひとつ前の発表者が『Cartesian coordinates』と話しているのを聞いて、『デカルトの座標系』のことだとその場で気づかなかった覚えがある。カタカナ英語は罪つくりである!

最後に、上記の座標系の発明による幾何学と代数学との間のコミュニケーション・リンクおよびそこで働くテンション(このコミュニケーション・リンク、超偉大なるテンション(超万有引力!)は『万有引力』を発見したニュートンによって解析幾何学と命名された)が契機となって化学反応をともなうイノベーションが起こり、相互にモーメントを与え合いながら18世紀に(1次)線形代数学、微分積分学、(世界でもっとも美しいと称されるオイラーの公式、恒等式をはじめとする数学界における至宝、『世界遺産』たる絶景の宝庫である!)複素解析学などの分野が急速に発展する(近年ではさらに数値計算によるデジタル化の流れも上記に加わる)。複素(ガウス)平面は極座標との相性が良く、ひとつの複素数で原点まわりの回転と原点を中心とする伸び縮みを直観・幾何学・野性的に見通しよく表現することができる。

リー群(多様体)およびその接ベクトル空間であるリー代数の理論は、数学のみならず、量子力学、一般の工学において(もちろんロボティック超音波においても!)本質的かつ重要な概念である。これに付随した有限複素単純リー代数の幾何学的な構造の決定※は20世紀数学における金字塔のひとつであった。

※有限複素単純リー代数における計算には(計算間のコミュニケーション・リンク、およびそこで働く超偉大なテンション(超万有引力!)によって生成される氷の結晶が如き美しい)幾何学的構造にもとづく住み処のパターンがあり、そのパターンの数は(なんと!)有限である!ローレンツ群およびポアンカレ群は特殊相対性理論において時空の等長性を記述するために導入されたリー群で、それぞれ 6 および 10 次元である。ローレンツ変換は内積(距離)が保存される等長変換であり(三角形の合同条件を考えればすべからくして角度(や面積、体積等)も保存されることになる)、ポアンカレ変換はローレンツ変換に並進が加わったものである。

ペアノらが創始した公理的集合論とは、まずは直観(・幾何学・野性)的にみて納得(得心)できる数学的主張(定義、命題、性質)を公理(系)として(無条件に前提として)認めてみて、これを基盤にさまざまな命題や定理を演繹的あるいは帰納的に導出し、さまざまな(数学的)対象についてその性質や属性について議論しようとする、『この指とまれ』の集合論である。このとき、さまざまな(数学的)対象は空間上の点の集合としてみなしうることから、上記の解析幾何学がその効力を発揮する。

ピタゴラスの定理で有名なピタゴラス学派(ピタゴラスが生きていたのはB.C.582-B.C.496年頃だったと言われている)の世界観は『万物は数である』というものであり(彼らのいう数とは自然数とその比である分数(有理数)のことである)、数が自然界、そしてこの世の根本と考えていた(すなわちピタゴラス学派の世界観は実にデジタル的であった!)。

ピタゴラス学派よろしく、長靴に黒板消しにビールジョッキ、サハラ砂漠やアラビア砂漠の砂粒、ナイル川や黄河のひと雫(しずく)など、自然数(や有理数)でナンバリングすれば、ありとあらゆるものごとは空間上の点やその(点)集合としての領域に(デジタルに)対応(写像、マッピング)させることができる。

いったん空間上の点やその(点)集合としての領域にマッピングされればその性質や属性について数学的対象としてさまざまに議論することができるしまた、(この指とまれの集合論的)点群処理によりデジタルに解析・ハンドリングすることもできる。点群処理は医用画像処理においても不可欠なツールとなっている。

砂漠の一粒一粒という構成要素が集まることによって、サハラ砂漠やアラビア砂漠といった特徴的な全体(の構造)が構築されているという集合論的なモノの観方とアラビア砂漠における砂粒と砂粒の間の関係性や(全体の)構造(互いに他を磨きつづけている)が一つ一つの砂粒に役割(や輝き)を与え、その砂粒を特徴づけているという構造論からの2方向からの観方があり、2つの観方は相(あい)並立しうる。

アニメ『鋼の錬金術師』では「一は全、全は一」とは何かと師匠から問いかけられたアルとエドが無人島に放り込まれ、そこでサバイバルするなかで万物(ばんぶつ)の流転(るてん)を体感(たいかん)し、世界の真理の断片(だんぺん)を見出した。

(師匠からの問い)一は全、全は一(One is ALL, ALL is One)とは?
(アルとエドの回答)全は世界、一はオレ(ALL is the WORLD, One is Me)

ここで、要素が関係性(コミュニケーション・リンク、超偉大なるテンション(超万有引力!))や(これにもとづく社会)構造をつくる、あるいは関係性や(社会)構造が要素に役割を与えるという具合に、因果関係は互いに逆方向に働いていることに着目されたい。水や空気が流れることによって創り出される紋様(もんよう)であり、錬磨(れんま)された、一粒一粒がその構成要素となっている美しい砂紋(さもん、Ripple marks)は自然が創り出した絶景であるが、その裏には上記の双方向性が働いていることに気づく。我々一人一人と社会との関係も似たようなものかもしれない。ちなみに砂紋(さもん)がそのまま化石となったものは漣痕(れんこん)と呼ばれる。

(参考文献)
柳谷 晃,天才数学者たちの超・発想法,大和書房.
藤田博司,集合と位相,技術評論社.
菊池 誠,公理という考え方,数学セミナー,Vol.71, No.8, 2022.

ダフィット・ヒルベルト(David Hilbert)は、ペアノらが創始した、公理的集合論を強力に推進、ユークリッド幾何学がベクトルの概念を基盤に現代的な公理によって再構築できることを示した。集合論を創始したのはゲオルグ・カントールであり、ヒルベルトはカントールの強力な支持・信奉者(しんぽうしゃ)でもある。これにより、線形代数学や微分積分学における複雑な公式は極めて直観・幾何学・野性的に見通しの良いものとなり、さらには高次元幾何学の建設までもが可能になった。

ヒルベルト空間は(n次元)ベクトルの概念を基盤にユークリッド空間を高次元あるいは可算無限次元に拡張・一般・抽象化してメタ的な概念にしたものである。これにより、われわれにとって直観・幾何学・野性的に理解しやすい低次元(2次元あるいは3次元)のユークリッド空間における線形代数学や微分積分学の方法論を任意の有限あるいは無限次元の空間(フィールド・土俵)へと自在に拡張・一般・抽象化してメタ的な概念としてこれを持ち込むことが可能になる。

通常の(1次)線形空間には距離が導入でき、そこでは回り道すれば距離は長くなる(三角不等式)。距離空間である(1次)線形空間にさらに内積を実装したものがユークリッド空間である。距離が定義された(1次)線形空間を高次元あるいは可算無限次元に拡張・一般・抽象化してメタ的な概念にしたものがバナッハ空間、これに内積を加えて計量まで可能にしたものがヒルベルト空間である。バナッハ空間もヒルベルト空間もそれらが発明された歴史的な経緯(けいい)として関数ベクトル空間を強く意識している。

正規直交基底が定められており、その帰結(きけつ)として内積という統一・統合・普遍的な計量手段を具備(ぐび)していることがヒルベルト空間を特徴づけているが、そこでは角度や長さの計量が時間・空間・人間(じんかん)を超えて可能になる。またヒルベルト空間は完備性をも具備しており(完備距離空間)、そこでは極限としての解の存在が保証されているため、微分積分学の装備一式が有効に機能する。

完備(かんび)性に関してオーギュスタン=ルイ・コーシー(Augustin Louis Cauchy, 1789年8月21日 - 1857年5月23日)は有理数のコーシー列が有理数という土俵の枠内には収まりきらず、無理数(と有理数を包含した実数)を析出(せきしゅつ)してしまうことを見出した。すなわち、有理数空間は完備とはいえない。観方を転じてみれば、上記の析出処理によって任意の実数を有理数のコーシー列によって定義できていると捉えることができる。他方、実数のコーシー列については実数の土俵の枠内に収まりきるため、完備であるといえる。上記の事実より、実数空間を有理数空間が埋め込まれた完備化拡張空間と捉える世界観も可能である。

フェリックス・クリスティアン・クライン(Felix Christian Klein、1849年4月25日 - 1925年6月22日)は、公理的集合論の世界観にもとづいて幾何学を『集合に対する変換群の作用』として分類し、変換群における不変的属性および特徴量によって統一・統合・普遍的にハンドリングしようとした(エルランゲン構想)。すなわち、ユークリッド幾何学を合同変換群の作用における不変的属性および特徴量(寄り道をすれば道のりはかならず長くなる距離の属性や内積(距離、角度、面積、体積)等)を扱う学問分野として、射影幾何学を射影変換群における不変的属性および特徴量(寄り道をすれば道のりはかならず長くなる距離の属性等)を扱う学問分野として再定義・再構築しようというのである。

(空間に無限遠点を付加することで、あらゆる2直線は(たとえそれが平行な直線であっても)交わるものと捉える)射影幾何学においても(なんと!)距離を定義することができる。具体的にたとえば、実射影平面上の点を三次元ユークリッド空間の原点を通る直線と原点を中心とする単位球との二つの交点をもちいて、二つの直線間の射影平面での距離を交点間の距離の短いほうとして定義すればよい。

カール・テオドル・ヴィルヘルム・ワイエルシュトラス(Karl Theodor Wilhelm Weierstraß, 1815年10月31日 – 1897年2月19日)が考案したε-δ論法によってはじめて、われわれは連続性(や微分可能性)というものを数学的に厳密に定義することができるようになった。ワイエルシュトラス以前の人々にとって連続性(や微分可能性)とは、いかに偉大な数学者であったとしても自身の幾何学的直観(野性的信念)にもとづいて理解するべきものであった。

連続性に関してリプシッツ連続(Lipschitz continuity)の条件は呼吸・拍動等に応じて能動的に運動する臓器の抽出・追従・モニタリングを行なううえでも有用である。直観的には、リプシッツ連続函数は変化の速さが制限されるときにその最大値Lを与える。即ち、適当な有限値の実数Lが存在して、その函数のグラフ上の任意の二点を結ぶ直線の傾きの絶対値はその実数を超えないと考えることができる。この上界(じょうかい)をその函数の「リプシッツ定数L」(あるいは一様連続度)と呼ぶ。たとえば、臓器の運動は瞬間最大速度L(腎臓の場合は20mm/sec程度)が制限されているため、このLを評価・同定することで関心探索領域(±L_x, ±L_y)の大きさを制限することができ、効率的な臓器の抽出・追従・モニタリングが可能になる。

ところで、『運動軌道がなめらか』とか、『地形がなめらか』など、われわれが人間(マクロ)的な感覚で『なめらか』というときの『なめらかさ』は、数学で言うところの微分可能性とはすこし様相(ようそう)に乖離(かいり)があるように思われる。この場合の『なめらかさ』においては、たとえば運動軌道中に高周波成分がどれくらい含まれるか(フーリエ解析)?や形状がどれくらい複雑か(フラクタル次元)?に近い『なめらかさ』の指標が対応するであろう。これに関しては、『テクスチャ解析』などの理論が参考になる。

(参考文献)

原岡喜重,はじめての解析学,講談社.



黒木哲徳, なっとくする数学記号, 講談社.

オイラーの公式
 
 
特に、θ = π のとき
となり、この関係はオイラーの恒等式(Euler's identity)と呼ばれる。

しかしながらやはり根っこの土台部分では数学というきわめて厳密な学問においてさえ、直観(幾何学、野性)的信念をその根本・根幹として頼らざるを得ないのである!

他方、枝葉花(果)実部分についても物理的現象に数学的現象を従わせようというのが物理学者のスタンスであり、物理学のプロの世界観である。

(例)モーメントの概念においてもその進化の歴史を紐(ひも)解けば、その根幹部分において直観(野性)的信念にもとづいていることに気づくが、数学者のスタンスとの大いなる違いは枝葉花(果)実部分についても物理的現象に数学的現象を従わせようという物理学者のスタンスにこそある。

具体的にまずは物体を運動させる能力という観点から力を捉え直した『力のモーメント(てこの原理)』の概念を起点・原点・出発点・一丁目一番地(starting point)とする。つぎに、曲げモーメント(はりの軸をグイッと曲げて変形させる能力という観点から力を捉え直したもの)へとモーメントの定義が変化・変容・洗練・進化する。

はりの変形をはじめ、物体の変形をハンドリングする際に用いられる縦弾性係数ははりを直方体※として捉えたときに、面に垂直な方向の単位面積あたりの力(垂直応力)によるその方向(面に垂直な(法線の)方向なのでこの方向は一意に定まる)の変形度合いを表現する。
 
※直観(幾何学、野性)的に見通しの良い名前のつけ方は重要である。なぜなら誤解を招くこと(コミュニケーション・コスト)が少なくなるからだ。中国語では日本語の『立方体』を『直方体』と呼び、日本語の『直方体』を『長方体』と呼ぶ。2次元の『長方形』と3次元の『長方体』とが対応する中国語式の呼び方のほうが統一・統合・普遍的で直観(幾何学、野性)的に見通しが良いように思われる、、、

(例)正規直交基底(せいきちょっこうきてい:正交底(せいこうてい)と略されることがある)と原点からなる座標系を単に『直交』座標系と呼ぶ。ここで、正規直交の『正規(せいき)』が外れてしまっているところが、線形代数の容易な理解を促進するうえでまことに惜しいかなと思われる所である。また、この流れで正規直交基底を横にならべた行列を『正(規直)交行列』といったほうが、より的確に伝わるところが、(単に)『直交行列』という表現にとどまってしまっている。これでは『片手落ち』であるという非難をまぬかれまい。これを踏まえてわれわれは理解を促進・容易化するために『直交』の文字を『正交』と読み替えるか、『直交』の前に都度(つど)、『正規』を補って読み進めることにしよう。名前の付け方は理解を促進するうえでかくも重要である!

※はりの変形は、直方体あるいは円柱によっておおよその傾向をまずは簡便に捉えられることが多い。この方法は、テーラー展開の1次近似的な捉え方ではあるものの、変形のオーダーを捉えるうえではそれで十分に有効であることも多い。漫画や絵を描くときにも、まずは、直方体・球・円柱といった簡単化された図形をパーツとして用いて構図や陰影のつき方に関する簡便な検討が行われることが多い。
 
横弾性係数は面に平行な(接線:tangential)方向の単位面積あたりの力(せん断応力)によるその方向(面に平行な(接線:tangential)方向なので、この方向は2次元の面内で360度方向にさまざまとれる)の変形度合い(ばね定数、材料のこわさ)を表現する。

せん断応力は物体を(仮想的に)せん(切)断する際にその(仮想的な)切断面に平行に働く応力(単位面積あたりの力)のことである。プローブと患部との接触状態に応じて超音波診断画像に変形をもたらすのは、仮想切断面でもあるプローブのスキャン面に平行に働くまさにこのせん断応力である!
 
このときプローブの押しつけ方向に発生する応力を(面に対して平行(正接:tangent)方向の)せん断応力として捉えるか、(面に対して法線(正対:face to face)方向の)垂直応力として捉えるかは世界観(対象とする応力をプローブスキャン面で捉えるのか、あるいは体表面で捉えるのかといった、捉える面(座標系)の選び方)の問題であり、体表面で捉える場合にはこの力を垂直応力として扱うべきであることには留意されたい。これについてより詳細を知るためには応力テンソルの理論を学ぶ必要がある。当たり前のことかもしれないが、どの面に着目するか(座標系の選択の仕方)によって、(その面に対して)垂直(あるいは平行)に働く応力(成分)は変わってくるのだ。
 
(参考文献)
高木隆司, キーポイントベクトル解析, 岩波書店, 1993.

ここで、多様体に対する接ベクトル空間よろしく、プローブと患部(多様体に対応)の接触点付近ではその周囲にユークリッド空間を頭のなかにフレームとして設定していることに留意(りゅうい)されたい。このときロボットマニピュレータなどのリンク機構における各リンク間の運動学的な関係を4つのパラメータ(関節角(θ)、リンク長さ(l)、リンクねじれ角(α)、リンク・オフセット(d))を導入することによって記述する方法であるデナビット・ハーテンバーグの記法(Denavit-Hartenberg method)にもとづいて、プローブの押しつけ方向の軸がz軸、スキャン面をxz平面、スキャン面に垂直な方向をy軸とすれば直観的にも見通しがよい。プローブを運動させると、フレームもこれに付随(ふずい)して移動する(moving frame)。

その後、断面2次モーメント(はりの軸方向(z軸)に垂直な(2次元平面上にある)断面の(質量分布の)x軸あるいはy軸まわりの回転のしやすさ(慣性)をあらわす)、断面2次極モーメント(はりの軸方向まわりの回転のしやすさ(慣性)をあらわす)へとモーメントの定義が変化・変容・洗練・進化する。

ここでロボット工学の座標系の取り方(デナビット・ハーテンバーグの記法)と材料力学の座標系の取り方が一般に異なっていることには注意が必要である。ロボット工学の座標系の取り方ではリンクの方向に根元の軸穴から手先の軸穴にむけてx軸をとるのが一般的である。このx軸は材料力学では梁(はり)の長手方向に対応し、z軸とするのが一般的である。

これは回転軸まわりの慣性(質量)の『分布』を表現している。ここで『2次』は(回転軸からの距離)の2乗に比例した値になるという意味で用いられており、1次モーメントは重心、0次モーメントが平均を表す。
 
近年では、 上記の断面2次(極)モーメントとのアナロジー(比喩、analogy)から『(ある軸(これは画像上の点(極)である)まわりの画像上での輝度あるいは濃度の)分布』を表現する際にもモーメントという言葉が転用され、応用展開されている(画像上の(輝度あるいは濃度)モーメント)。これにも1次および0次モーメントがある。

ディラックのデルタ関数δ(x)は言わば、世界のあらゆるものごとの分布、すなわち局在(きょくざい)を表現して、これを抽出(cut out)・再配置(cut in)することができるという、超関数の代表(キャプテン・花形選手・ヘッドライナー)である。超関数の代表選手であるデルタ関数がシュワルツによって電荷の分布と関連づけられたことから超関数のことを英語ではdistribution functionとよぶ。

われわれの医療のデジタル化(医デジ化)関数:Me-δigIT(t,x,h,H)関数(メディジット・ファンクション)もこうありたいと考えており、上記のディラックのデルタ関数δ(x)を時間(t)、空間(x)、人間(h,H)に適用して普遍・一般・抽象化したメタ的な概念として医療への応用展開を志向しようとするものである。

AI・ロボット・IoT技術を援用した医療のデジタル化(医デジ化)により、デジタル空間上のデジタル機能関数として、人体に埋め込まれた患部のモデル化や医療技能のデジタルな蓄積・改良・再利用が可能になり、時間・空間・人間を超越して、医療の偏在(へんざい)を解消、一定水準以上の医療の底上げ・生産性向上につなげることができる。

理解はできるが信じられない!(Georg Cantor, 1877年, 無限の相(分割)を認めれば、平面上(ヒルベルト空間の理論によればこれは高次元あるいは可算無限次元に拡張した一般のn次元ユークリッド空間上であってもよい!why n次元立方体にGeorg Cantorの対角線論法を適用せよ!)の点と直線(如意金箍棒のごとく縮退させた端点を含まない開線分であってもよい!)上の点とが一対一に対応してしまうという結論を自らの手で導いたときに思わず発した言葉。

Je le vois. Mais, je ne le crois pas. 理解はできるが信じられない!
 
逆に考えれれば、n次元ユークリッド空間上の点の集合を一対一に対応させて直線上の点の集合に縮退させることができる!これは、プログラミングにおいて1次元のメモリ空間(生命の設計図たるDNA情報も1次元のメモリ空間上に記録・収納されている!)上にn次元配列の要素を(縮退させて)表現できることと類似(analogous)である。

ただし、上記の一対一対応における写像表現は、かならずしも近傍の点を近傍に写す連続写像としては表現できていないことには注意が必要である。すなわち、点の連続性とは空間の次元の増加/減少によって(見かけの表現上は)容易に分断/接合(ぶんだん/せつごう)されうる、言わば『次元を超えた、より根本的かつプリミティブなところにある概念』であるともいえる。

(例)非負整数の無限列:[k_1, k_2,k_3, k_4,k_5, k_6,…]と非負整数の無限列の順序対:<[k_1, k_3, k_5, …],[k_2,k_4,k_6,…]>との1対1対応が存在する。

(参考文献)
藤田博司,「集合と位相」をなぜ学ぶのか,技術評論社.

(例)1次元の線分と同一の長さの辺を有する2次元(一般のn次元あるいは可算無限次元であってもよい)の正方形は異なる図形であるにもかかわらず、同一の長さの辺を有するヒルベルト立方体とよばれる(可算)無限次元の立方体との直積をとるといずれもこれまたヒルベルト立方体となり、同相な図形になってしまう。

プランク定数の制約に縛(しば)られる物理的現象にもとづく世界観とこれに縛られず、無限の相(分割)を認める数学的現象にもとづく世界観との間には鋭い亀裂(きれつ)・乖離(かいり)・懸隔(けんかく)が生じうるのである!自然界は、その極限としてアナログ的であることを志向しているようにも見えるが、物理的な存在である以上、(マクロ的にみて)いくらアナログ志向であるといってもやはり、その存在自体はまぎれもなく(ミクロ的にみて)デジタルでありつづけるのである。)

物理学者は生命の神髄(クイントエッセンス)たる直観(幾何学、野性)的信念のなかに正しいか正しくないかの判断根拠を求めるが、数学者はこの生命の神髄(クイントエッセンス)たる直観(幾何学、野性)的信念のなかに何か気づかない前提条件(罠,trap)が置かれ(仕掛けられ)ているにもかかわらず、それがあたかも地雷原(じらいげん)のように一目見てわからないように覆(おお)い隠されてしまってい(るがために論理的矛盾がないにもかかわらず自由な発想の展開やこれに基づく行動(展開)選択の自由が制限・阻害されてしまってい)るのではないか(そしてそのことは実は、とてもとても勿体(もったい)ないことではないのか)!?と(物理学者からみれば時には過剰とも思われるくらいに)心配してしまうものである。
 
(特に物理学と比較したときの)数学の本質はまさにその(発想の)自由さにこそある
Georg Ferdinand Ludwig Philipp Cantor(1845-1918)
 
(例)数学はその対象(たとえば対象としての無限たる実無限)とプロセス(たとえばプロセスとしての無限たる可能無限)のいずれにおいても概念的なものである。他方、心理学的にはこれらは区別されている。しかしながら数学的にはこれらは同じ硬貨の表裏であり、プラトンのイデア論よろしく概念的なモノであるという点においては両者の間に相は入らない。すなわち、今日の数学的存在の世界観は物理的存在の世界観とは相容れない(一致しない)。カントールが無限を数える方法を発見したのはフーリエ級数表現の一意性に関する研究を通じてであった。


 
(メモ)同じか同じでないかということははなはだあいまいな概念であり、見る者の世界観にも大いに依存する。リンゴとバナナは味も異なるし、値段も異なる。しかし、抽象化の階段を昇(のぼ)って果物、さらには食べ物というメタ的な観点に立てば両者の間に相は入らない。一般に空間の形とか空間の形態とかいうものは一言で片付くほど単純・明解なものではない。具体(ぐたい)・抽象(ちゅうしょう)・組み合わせの階段が入り乱れてこの観点に立てば相は入らないが、この観点に立てば相が入るということが実に多いのである。これに関してより詳細を知るためには位相空間の理論について学ぶ必要がある。

(参考文献)
都筑卓司、トポロジー入門、講談社.

 (例)カントはユークリッド幾何学を必然的(essential)かつ普遍的(universal)なものであると考えた。いまでは、数学の世界においてさえも、ユークリッド幾何学が統一(合)的なものでも、普遍的なものでもないことをわれわれは知っている(ユークリッド幾何学における平行線の公理は他の公理とは独立な公理であり、これに修正を加えることによって楕円幾何学や双曲幾何学など、多様性に富んだ非ユークリッド幾何学の豊かな世界(鉱床・鉱脈)がユークリッド幾何学とともに数学の世界において(相)並立(あいへいりつ)・(相)並存(あいへいぞん)しうるということをわれわれは知っている!)。実際の物理空間がユークリッド幾何学に従っていないことは観測によって実験(経験)的にも確かめられている。
 
しかしながら他方(たほう)で、閉曲線と正円(せいえん)、開曲線と直線の関係よろしく、非ユークリッド幾何学を理解するためにまずは、すべての幾何学の基礎・基盤・土台・土俵・インフラストラクチャたるユークリッド幾何学を標準型(ひょうじゅんけい)としてイメージすることはとてもとても、本質的にきわめて重要であり、われわれ人類が、延々・脈々・累々とユークリッド幾何学を学んだり、研究してきたことには大きな意義がある!※

※射影幾何学(しゃえいきかがく)上の問題をハンドリングする際にも同様にまずは、その特別な場合(キャプテン、花形選手)である3つの基底(座標軸)が直交する正規直交基底上で展開されるユークリッド幾何学において対応する問題がどうであるかについて考え、つぎに基底(座標軸)の交わる角度や目盛りの条件を緩(ゆる)めてすこしづつ変化・変容させてみたときに対応する問題がどう変化・変容するか(あるいはしないのか)について考えるのが直観的で見通しの良いハンドリングにつながるだろう。

なぜなら、たとえ曲がった曲面(多様体)であっても、面上の各点ごとに接ベクトル空間としてのユークリッド空間(チャート)を(イデア論的な1次線形近似)モデルとして導入することができる。そうして正規直交基底を土俵とする線形なユークリッド幾何学は計量性の面で優れており(内積や距離・角度が定義でき)、直観的(幾何学的、野性的)にきわめて見通しが良く単純・明快であり、だれもが簡便かつ随意に、安全・安心・安定的に思いやりをもってハンドリングすることができるものだからだ。

ためしに手元にある新聞紙に定規で直線を引き(ハンドリングしやすい正規直交基底(せいきちょっこうきてい)のユークリッド幾何学の世界でまずは扱い)、つぎにクシャクシャに丸めて(基底の直交性などの条件を柔軟(Topological)にゆるめて)、もう一度広げてみよう(あるいは、ゴム膜に直線を引いて、ゴム膜上にゴム紐を通してあっちこっち引っ張ってみても良い)。非ユークリッド空間の土台としてのユークリッド空間の重要性が体感できるであろう。

たとえ曲げられた空間であっても(その源泉(げんせん)として対応する標準型としてのユークリッド空間上を)真っ直ぐ進むことが可能である(原始的な解は抽象化の階段を1段のぼった(上流にある、あつかいやすく典型的な源泉(げんせん)にある)空間で得て、さらにはそれをもとに川下(かわしも)へと順々に下りながら辿(たど)り、個別具体的な(実装)解を導出したとしても一向に構わないのである)!(これは人生を歩むうえでも示唆(しさ)に富む事実である)

(例)ガウス・ボンネの定理の証明にとって必須であるストークスの定理は、まずはユークリッド平面という平(たい)らかな空間でその議論を行ない、つぎにこれを多様体上へと拡張・展開する道順を順々に辿(たど)るほうが直観・幾何学・野性的に見通しよく単純・明解に理解することができる。

医療専門家(プロ)は血管(尿管、腸管など)を曲線(管)状構造体として、腫瘍(や結節、結石など)を球状構造体として普遍・一般・抽象化したメタ的なモノとして捉えているのだそうだ(したがって腎臓や肝臓も球状構造体と捉えられる)。この方法は、テーラー展開の1次線形近似的な捉え方であり、実際の腫瘍や臓器は完全な球ではないが、プラトンのイデア論よろしく位相(柔軟な)幾何学的な球と捉えることは統一・統合・普遍的で直観的(幾何学的、野性的)に見通しよく単純・明快で、なおかつきわめて合理的である!

(例)本質的な部分を抽象化して観れば、人間は一見、球と同相のように見える。しかしながら、人間の消化器系までを考慮に入れるとトーラス(ドーナツ)と同相であるかのように思える。消化管の中は(なんと!)体の内側ではなく、外側であったのだ!さらには、喉(のど)のところで鼻の穴と口とが分岐しているのだから2-トーラス、あるいは鼻の穴の数までを考慮に入れれば3-トーラスと同相だと考えることもできよう。また、一般の血管系は穴の数がn個のn-トーラス(n-ジーナス:n人用の浮き輪)と捉えることもできるだろう。

(例)線分の両端を無限の彼方まで伸ばした直線(あるいは開曲線)は、その両端が無限の彼方でつながっている(すなわち曲率半径∞の円弧)と捉える世界観においては、正円(あるいは閉曲線)と一対一の対応がついてしまう。すなわちこのような世界観のもとでは正円(あるいは閉曲線)と直線(あるいは開曲線)の間に相は入らない(区別がつかなくなってしまう)。

これについてより詳細を知るためには、角度を保存しながら直線/正円を直線/正円に写す共形(きょうけい)写像の理論やn次元双曲幾何学のモデルであり、その幾何学のもとでの各点が n次元円板あるいは球体に属し、かつその幾何学のもとでの直線がその円板に含まれる円板の境界と直交する円弧または直径によって与えられる有名なポアンカレの円板について学ぶ必要がある。

(参考文献) 富岡礼子,曲がった空間の幾何学,講談社.

Moon RiverAudrey Hepburn

(例)『ものさし』が異なれば、円(球)の形状もさまざまに変わる。ユークリッド距離(ユークリッド幾何学)では円(球)は通常われわれがイメージする円(球)であるが、距離の定義が異なれば、ひし形(正八面体、絶対値|x|+|y|(+|z|)=r)や正方形(立方体、max(|x|,|y|(,|z|))=r)にもなりうる。

位相(柔軟な)幾何学ではこれらの多様な円の間に相を入れない(同一視する)。これに関連して超楕円(superellipse)という概念がある。超楕円は臓器の輪郭のフィッティングに応用されるなど、医用画像処理においてもきわめて有用な関数である。

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(例)実に驚くべきことでにわかに信じがたいことだが、如何なる2次曲線(楕円も放物線も双曲線)も観方を変えて、ある視点(2次曲線がその側面に包含される円錐の頂点!)から観てみれば(なんと!)すべて円に見えるという(これらの2次曲線がその二つ名を円錐曲線と呼ばれるゆえんである!)。そうしてあらゆる2次曲線は円とある種の性質を共有する。たとえばパスカルの定理は円だけでなく、どんな2次曲線においても成立している。これに関してより詳細を知りたければ平行線を平行線に写すことをその特徴とする射影(しゃえい)幾何学について学ぶと良い。

xy平面上の点(x,y)の軌道が線形微分方程式で与えられているとする。この点と原点を通る直線の勾配z=y/xは有名なRiccatiの方程式で支配される。
これはマシンビジョンの理論とも関連している。すなわち、原点にカメラを置けば、原点を通る同一勾配の直線上の点はすべて同じ点に投影(縮退)され、同じ点として(縮退して)観測されてしまう。Goshらはこれを拡張して透視システム理論(perspective theory)を展開し、物体運動の同定可能性や観測可能性についてRiccatiの方程式に基づいて論じている。

真正面からまっすぐ近づいてくる相手との距離感はきわめて測(はか)りづらい。どんなに相手が強くても真正面からぶつかる戦法がきわめて有効に機能するゆえんである。超音波画像においてもこれは同様であり、(3次元空間のうち、縮退していない)面内の物体運動は同定しやすいが、面外の(奥行方向の)物体運動は(超音波画像上で縮退しているがために)きわめて同定しづらい。

具体的に超音波医用画像においては、視野(超音波プローブの視線、スキャン面、視野角)が3次元ユークリッド空間内に埋め込まれた2次元ユークリッド面内で扇(おうぎ)状に縮退・制限されている。このため、プローブのスキャン面内の物体運動については捉えやすいが、面外の物体運動については捉えにくい。

また、深度においても深部になるほどノイズや解像度が低下するため、物体運動が捉えずらくなる。さらに超音波ビーム・フォーミングの際のフォーカス・ポイント設定についても考慮が必要である。すなわち、超音波スキャン面内で(超音波画像中央付近に)ゴールデン・ストライク・ゾーンが存在することになり、そのなかに観察対象物を画像のブレやノイズを極力抑えた状態で捉える必要がある。

(参考文献)
玉野研一,なっとくする無限の話,講談社, 2004.
狩野弘之, 西村敏充, Riccati方程式と制御問題, J.SICE, Vol.35, No.5, 1996.

(例)線形性は一般の関数(写像)を(局所的に)1次近似することによって得られる初等的な性質だが、『原料を2倍にすれば、生成物も2倍になる』など、直観(幾何学・野性)的に関数(写像)の増減傾向を把握できるため、(特にわれわれ人間にとっては!)きわめて有用な性質である。(偏)微分(差分)操作によってだれもが簡便に得られる。ゴム膜に書かれた(柔軟な幾何学上の)直線よろしく、現実世界が非線形であるからこそ、理想的(イデア)なモデルとしての線形(性)を想起することが尊(とうと)いといえる。

(例)現実世界が非対称であるからこそ、理想的(イデア)なモデルとしての対称(性)を想起することが尊い

(例)機械製図におけるセオリーのひとつに、『カクカクしたものの対称線はできるだけ省略できないか検討する』というものがある。これは機械製図において対称線を引く際には、『指定した寸法精度で対称性を管理してくださいね!』という加工業者にあてた主張(メッセージ)であると受け取られてしまう可能性があるためである。このため、本来そこまでの対称性が精度的に必要なかったにもかかわらず、余計な精度管理の工程やこれにともなうコストが発生してしまう。

『機械製図は(加工業者との)コミュニケーション』と言われるがやはり、余計な一言はなるべく言わない方が吉である!他方で、ドリルや旋盤などで円筒形の穴をあけるときの中心(軸)線は基本的に省略しないのが通常である。さらにはまた、要領を得ず、直観的にわかりにくい図面もまた、加工業者が部品の構造を理解するために時間を要するため、コストが高くつく傾向にあるそうである(加工業者やはり、感情をもつ生き物である!)。直観的に見通しのよい、理解しやすい図面は、ただそれだけでコストパフォーマンスの面で優れており、加工業者にとって、ごちゃごちゃしていない、わかりやすい図面を書ける人は職場で重宝(ちょうほう)されることになる。

(例)現実世界が非剛体であるからこそ、理想的(イデア)なモデルとしての剛体(性)を想起することが尊い

(例)ある理論に矛盾がないことを主張するための有効な手法のひとつとしてその理論と機能面で等価なモデル(模型・おもちゃ)をまずは試作してみる方法がある(まずは機能試作法)。もし、その理論から矛盾が導かれるようであれば、試作したモデルにおいてもやはり、同様の矛盾が導かれるべきであろう。そうしてそのような矛盾があっては、試作したモデルと機能面で等価なもとの理論(これも実はひとつのモデルである!)の有効性(無矛盾性)を主張することはできないからである。
 
(参考文献)
イアン・スチュアート,川辺治之訳,無限,岩波科学ライブラリー,2018.
玉野研一,なっとくする無限の話,講談社,2004. 

(例)(一般および特殊)相対論などは物理学の問題でありながら人間の直観が及びにくく、超感覚的であるという意味で高度に数学(創造)的でもあり、時と場合によって直観は有害にすらなりうる。

相対論では4次元を扱っているが、第4番目の座標はあくまで時間であり、宇宙空間自体としては3次元を扱う。ただし、この空間は3次元のユークリッド空間ではなくて重力場の理論により、蒟蒻(こんにゃく)よろしくグニャリと曲げられているところがユニークである。

静電磁場ではマクスウェル方程式は別々の対(つい)に分かれ、一方の片割れは電界、他方の片割れは磁界で両者の間には一見したところ、コミュニケーション・リンク(およびそこで働く超偉大なるテンション(超万有引力!))など何も存在しないかのようにおもえるが、本質的には両者の間には(特殊および一般)相対性原理による強固な結びつきが存在する。(特殊および一般)相対性原理はマクスウェル方程式の後にアインシュタインによって発見された。

当時、アンリ・ポアンカレ(数学者)は慣性運動する座標系において光の速さが一定でなければならないという条件を導き出すところまではできていたのだが、まさか現実の物理世界が蒟蒻(こんにゃく)よろしくグニャリと曲げられており、この条件に従っているというところまでは物理的世界観として十分に咀嚼(そしゃく)しきれてはいなかった。

他方アインシュタイン(物理学者)は(超!?)直観(幾何学、野性)的信念のもとにこの条件を物理的世界観として蒟蒻(こんにゃく)よろしくグニャリと柔軟(!)に受け入れることができ、1905年に特殊相対論(独: Spezielle Relativitätstheorie、英: Special relativity)として発表した。

そのなかでアインシュタインは光速で伝わる重力波の存在を予想している。電磁波が光速で伝わることはマクスウェル方程式が教えてくれるが、重力波もまた、光速という有限の速度でこの宇宙を駆け抜け、徐々(じょじょ)に伝播(でんぱ)してゆくと言うのである。

そうしてアインシュタインの死後、半世紀以上の時が経ち2015年9月14日9時51分 (UTC:協定世界時) にLIGO(ライゴ、Laser Interferometer Gravitational-Wave Observatory)実験によって実際に重力波の存在が確認されることとなる。

この重力波は地球から13億光年離れた2個のブラックホール(それぞれ太陽質量の36倍と29倍)同士の衝突による融合合体(fusion)によって生じたものであるという。まさに『ドラゴンボールの世界観』である、、、

(参考文献)
都筑卓司,トポロジー入門,講談社.

~~~~~~~(知性・知能とのコミュニケーション・リンク生成による野性・野能の変化・変容・洗練・進化法)

(人生の理念・心意気)雲外蒼天(うんがいそうてん)の心持(こころも)ちであきらめることをあきらめる!→人生の辞書から失敗(試合終了)という概念をなくす。あるいは、時間的(歴史観)・空間的(世界観)・人-物間(じんぶつかん:人-物観・人生観・哲学・動力学はじめ、あらゆる自然科学)的に拡げてみた場合、失敗経験を積むことは成功につながる頑健(がんけん)な手法(あるいはシステム)を構築/産生(さんせい)するうえで必要不可欠であり、なおかつ本質的に(intrinsically)重要なプロセスの一部を構成しうるものだと考えることにする(失敗は結果としてではなく、成功へと至るプロセスの一部を構成するものとして想像力逞しく捉えよう!これにより、失敗経験はかけがえのない宝となりうるのだ!)。

旅に終わりがあることは素晴らしい。でも、もっと重要なのは旅そのものなのだ。(Ernest Miller Hemingway)

遠回り(や寄り道)をするからこそ、見られる景色(絶景)がある!

見知らぬ街で道を間違えることで、たまたま見つかる穴場スポットとの出会いもある!これによりその街のことがより好きにもなり、またより詳しくもなれる!これと同様に、あるとき見知らぬ研究分野のあるところで問題に突き当たって、そこで試行錯誤を繰り返しながら失敗(エラー)経験を積む中で蓄積される数々の知見が実はわれわれの血肉(けつにく)となる宝であり、別の問題を解くときにも生きてくる。江戸の仇(かたき)が長崎で討たれたり、あるいは時空を超えて今日(こんにち)の東京で討たれたりすることも十分に起こりうるのである!

虚数iは決して想像上の架空の(imaginaryな)ものなどではなく、2次以上の方程式の根を統一・統合・普遍的に構成するうえで不可欠なこの世界にも(少なくとも世界観モデルとしては概念(イデア)レベルで)実在するきわめて実用的な数として捉えるべきものであろう(ここで、虚数iが実際にこの世界に(物理的に)存在するかどうかを考えることはさして重要ではない(すくなくとも数学的な世界観モデルとしては概念(イデア)レベルでこの世の中に実在している!と言い切れる。数学的な対象は概念的なレベルにおいて(のみ)現実である!)。そのような世界観(モデル)をまずは持ってみてあれこれと推論を展開してみることこそが有効で、本質的かつ決定的に重要なのである!)。複素数はひとつの数の内に数(対となる2つ)の要としての実(代数幾何学的には平面上の点)を内包する。

これにより物事を統一・統合・普遍的で直観(幾何学・野性)的に見通し良く、だれもが簡便に表現しうるのである。複素数の入出力をハンドリングしうる複素関数論はきわめて実用的であり、電磁気学はじめ、超音波工学、ロボット(制御)工学の分野においても大活躍している。

(例)われわれが日常的に用いる『姿勢(軌道)』という概念はすべて球面(上の点の軌道)という幾何学的な世界観で統一・統合・普遍的かつ直観的に捉えることができる。ロボットの剛体姿勢(軌道)はオイラー・パラメータと呼ばれる4元数(クオータニオン)を用いて、4つのパラメータで表現可能である(ただし、ロボットの剛体姿勢とクオータニオンが1:2の対応関係になっていることには留意が必要である)。

オイラーパラメータの特長として特異点が存在しないため、ロボティクスのみならず、ロケットや人工衛星の姿勢制御などに幅広く応用展開されている。剛体姿勢(SO(3):正規直交群:回転(運動)群)のつくる軌道はオイラーパラメータや単位クオータニオンによってS^3(3次元球面)へと写像される。

クオータニオンは複素数の(一般のn次元への)拡張である超複素数として1843年10月16日、ハミルトンがダブリンの街を運河に沿って歩いているときに発見したといわれている。発見当時、ハミルトンは3次元への複素数(2元数)の拡張を研究しており、その結果として4次元への複素数拡張を見出したのだという。

具体的にクオータニオンの式はかの有名なオイラーの恒等式(2次元の姿勢変換を表せる2元数)の4元数拡張(3次元の姿勢変換を表せる)になっている。ここで、nは回転軸方向の単位ベクトル、ψは回転角を表す。いかなる複雑な剛体の姿勢変換も一つの回転軸ベクトルとそのまわりの1回の回転で表現できる※ということは実に驚くべき重要な事実であるが、クオータニオンの式はこの事実を直観的かつ明解に体現している(まさに率直な数学的表現が物理の本質を垣間見せる好例と言えよう!)。

※これは(なんと!)一般の(n+1次元ユークリッド(運動)空間に埋め込まれた)n次元超球面でその(運動)軌道空間があらわされる回転(運動)群(SO(n+1))においても成り立つという※※。具体的にn次元超球面(運動軌道空間)上の任意の2点p,qを適当に選べば、原点を含めた3点で定まる(n+1次元ユークリッド(運動)空間に埋め込まれた)2次元平面内の原点を中心とする1回の回転(運動)群(SO(2)⊂SO(n+1))によってpをqに写すことができる。これに関して詳細を知るためにはリー群の表現論についてさらにより深く学ぶ必要がある。

※※n+1次元ユークリッド空間に回転(運動)群(SO(n+1))が作用すると、(n+1次元ユークリッド(運動)空間に埋め込まれた)n次元超球面というあらたな(運動)軌道空間が生まれる。






超複素数には他にもオクタニオンとよばれる8次元への拡張が存在するが、これら4および8次元のみに限られていることは興味深い。このことは(超)外積という演算の存在が3次元および7次元のみに限られていることと双対(そうつい/そうたい)の関係にある((超)外積の3次元および7次元は虚軸の数(次元)に対応しており、これに実軸の1次元を加えればそれぞれ4次元および8次元となり、クオータニオンおよびオクタニオンの次元と一致する)。

(参考文献)
[1] 内山 勝, 中村仁彦, ロボットモーション, 岩波書店, 2004.

(例)2次元翼の理論においては、まずは単純な形状である円柱まわりの流れを複素数を用いて表現し、つぎに複素平面上の円をジューコフスキー変換すると翼形状になることを利用して複雑な形状である翼まわりの流れを同定、これにより複素トポロジー解析的に翼に働く揚力をシミュレーションするという2段階戦法を採用している。

(例)動力学において物体が回転運動する状態を回転軸方向の1個のベクトルできわめて簡潔に表現する際に用いる角運動量ベクトルL=r×pも虚数iと同様、実際にそのようなベクトルがこの世界に存在するかどうかを考えることはさして重要ではない(すくなくとも物理的な世界観モデルとしては概念(イデア)レベルでこの世の中に実在している!と言い切れる)。そのような世界観(モデル)をまずは持ってみてあれこれと推論を展開してみることこそが有効で、本質的かつ決定的に重要なのである!角運動量ベクトルを運動量ベクトルとのアナロジー(analogy、類似性)で捉えれば、並進および回転運動を統一・統合的かつ直観・幾何学的にハンドリングできる。
 
試行錯誤(Trial and Error)の過程は泥臭くて通常、問題集の解答例にはのっていないものである(解答のエレガントさを優先する過程で直観(幾何学、野性)的な単純・明解さ、すなわちアフォーダンスが低下する)。

他人とのディスカッションの過程においてはその目的・力点を相手のモノの見方・考え方・捉え方・発想の仕方・世界観(軸)を推察、これを学び、そのモデルを構築すること(世界観(軸)学習)にこそ置くべきである。このとき、自身の世界観(軸)と相異なる世界観(軸)の存在を知ってしまった場合(これは多様性の観点からも、とても重要な知見になりうる!)にもあわてて反論する必要など全くなく、『わかるわかる!そういう(あなた方の)世界観(軸)も(われわれの世界観(軸)が存在しうるのと同様に)存在しうるよね!』の精神で、一定の共感を示しながら柔軟にその世界観(軸)の存在をまずは認めて相(あい)並存させる方向で対応しておくことが余計な摩擦を生じさせないうえで好適である(全く相異なる世界観(軸)で直交補空間の関係にあったとしても多様性の観点から、並存させておいて一向に構わないのである!そうしてそれら相並存する世界観(軸)どうしはお互いにモーメントを掛け合う関係になれるのである!法)。

(例)ユークリッド幾何学(の世界観(軸))と楕円幾何学、双曲幾何学をはじめとする非ユークリッド幾何学(の世界観(軸))とは相並存しうる。そうしてそれらは直交補空間の関係にある。
 
(例)連続体仮説が成り立つ世界(観(軸))と成り立たない世界(観(軸))とは相並存しうる。そうしてそれらは直交補空間の関係にある。

(例)選択公理が成り立つ世界(観(軸))と成り立たない世界(観(軸))とは相並存しうる。そうしてそれらは直交補空間(平行世界ともいえる)の関係にある。

(例)n次元固有(関数)ベクトル空間とm次元固有(関数)ベクトル空間のそれぞれの基底(関数)ベクトル同士の合計n×m組のモーメントや内積をまずは考慮すればよい。

(例)方程式のゼロ点(解)はひとつとは限らないし、線形空間におけるゼロ空間(解空間)はひとつの基底から構成されるとも限らない。思いもよらない別解が存在しうる可能性は常に意識しておくべきことであろう。われわれひとりひとりが空間内の点で、空間がわれわれの住み処(『社会(宇宙)』)であるとするならば、複数の基底から構成される、世界(価値)観の多様性を許容する、自由度が高い多次元空間としての『世界』のほうが、住み処(『社会(宇宙)』)として優れているのではなかろうか(すくなくとも私はそのような『社会(宇宙)』に住みたい)。

なぜならそのような『社会(住み処、宇宙)』には、包容力があり、窮屈でなく、そしてなによりもVarietyがあって退屈しないからだ(そこでは、複数の世界(価値)観が共存しうることに着目されたい。相手の世界観を頭ごなしに否定する社会(住み処、宇宙)になることだけは何としても避けたいものである)。冗長空間(ゼロ空間)は居住性においてとても重要な役割を果たしていると言えるのだ!

(例)線形微分方程式系で頻回(ひんかい)に行なう、exp X の計算は基底座標系の再設定(取り替え)により、Xを対角形あるいはジョルダン標準形で再表現しなおしたうえで行う方が直観・幾何学・野性的に見通しよく単純・明解である。

(例)行列Aが対角化できるかどうかの必要十分条件は、

(固有値の重複度)=(固有ベクトル空間の次元)
 
が行列Aのすべての固有値に対して成り立つことである。すなわち、(一見したところ冗長にも思える)同じ固有値を有するもの(重解の片割れ)どうしであったとしても複数の世界(価値)観が固有ベクトル(軸・柱・はり)としてわれわれの社会(住み処、宇宙)に存在していることには(その固有ベクトル空間(小社会、小宇宙)の居住性をしっかりとしたものにするうえで)大いに価値がある!

(例)同相(どうそう)とは互いを他に写しあう連続写像が存在するということである。連続写像とはつながっているものをつながっているものに写す写像のことである(つながっているのか?いないのか?それが本質的に重要だ!)。互いを他に写しあうためには、写像する際にその片割れがつぶれてしまったりするようでは(点と点との1対1対応という観点から)困るので、双方の空間が縮退(しゅくたい)せずに次元の広がりを(その空間の構造として)保つ必要がある。

まずは、起点・原点・出発点(starting point)・一丁目一番地と最終目的地といった初期条件や境界条件を明確にする。つぎにその間を埋めるべき基礎・基盤・土台・根本・布石・伏線といった土俵設定、根幹枝葉花(果)実、目標・目的・マイルストーン・最終目的地・中継地といった本質のつながりを探る。

科学のどの進歩にも完璧な無知からはじまって、証拠にもとづく部分的な知識が(つながって)しだいに確実になるという段階を経て、事実上確実になるという段階に至るという変遷が含まれる(Howie)。

最適な『道(どう)』を知るためにはまず、その周辺にある『多様な道(の構造!)』や、さらにはその対極に相当する『(双対・相補的な)道(の構造!)』を知っておくことこそが効果的である。なぜなら学習に寄与する有用で良質なフィードバックが得られるのは周辺の多様な道や対極に相当する道を多様に歩いた場合であるからだ。これはcos関数とsin関数とが位相的に観て双対・相補的な関係にある(複素平面上の点を極座標で表現することを考えてみよ!)ことと類似的(similar, analogous)である。『○○道』は実に多様で奥が深いのだ!

(例)鞍点(あんてん、saddle point)は見る方向(世界観)によって山にもなるし、(90度視点を回転すれば)谷にもなっている(メビウスの輪よろしく手近にあるベルトをひとひねりして巻いてみても鞍点の地形があらわれる)。これもまた、cos関数とsin関数とが位相的に観て双対・相補的な関係にあることと類似的(similar, analogous)である。鞍点は2次元球面(われわれにとっては通常の球面)の表と裏を(自己交差を許容するという条件のもとで)ひっくり返すうえでも本質的に重要な幾何学的構造である!2次元球面とは異なり、鞍点を幾何学的構造としてつくれない1次元球面においては(それが包含される2次元平面内の操作で)表と裏をひっくり返すことはいくら悔しがったところでできないのだ(この事実はまさに、次元のもつ破壊力を我々にまざまざと見せつけるものである)。

ここで1次元球面(われわれにとっては通常の円周)では現れなかった鞍点が高次元球である2次元球面では山と谷に加えて地形のvariety(多様性)として新たに生じていることに着目されたい。この鞍点の存在が自己交差を許せば位相幾何学的(連続的かつなめらか)な変形のもと2次元球面の表と裏を(それが包含される3次元空間内の操作で)ひっくり返すうえで本質的かつ決定的に重要な役割を果たすのである。そうしてこの2次元球面の表裏をひっくり返す操作はバナッハ・タルスキーのパラドックスにおいて自己交差を許して、1つの球を2つにする操作と類似(Analogous)である。


『Outside in』よろしく、鞍点(あんてん)では相手が技をかけてきた機会を捉えて、(90度(柔道の場合は180度))切り返して運動軌道に(奇跡を起こすための伏線としての)特異点をつくり、(体位を入れ替えて)逆に相手を投げる技を打つことができる、まさに『一撃必殺の返し技』を打つビッグチャンスである!幸いなことにわれわれは3次元空間内で時の流れとともに生活(運動)している(宿泊日を変えればホテルの同じ部屋に別の人が泊まれるという意味では自己交差を許すという条件についてもうまくクリアされている!すなわち、われわれは4次元の世界で外科的手術によって球面の表裏をひっくりかえすことすらできる(穴を開けてひっくり返したのち、再び穴を閉じればよい)!)。

ピンチはチャンス!鞍点を見極め、ここぞというところで運動軌道に(奇跡を起こすための伏線としての)特異点をつくり、(90度(柔道の場合は180度))切り返して思いきって『一撃必殺の返し技』を打とう!他方、相手にとっては『一撃必殺の返し技』を打とうとするその気概そのものが脅威となり、うかつには踏み込めないだろう。すなわち鞍点では地政学(ちせいがく)的な条件にもとづく精神・心理的な均衡(きんこう)状態が巧妙に醸成(じょうせい)されていることになる。負けの9割は相手と戦う前に自分自身にすでに負けているのだという。人生は大いなる精神・心理戦である。これについてよく知るためには、ラプラス演算子やこれによって表される調和関数(勾配流の出入りの収支がいたるところ±0)など、勾配(ベクトル場)流の理論についてさらに深く学ぶ必要がある。(鞍点は『一撃必殺の返し技』を打つビッグチャンス法)

(例)素人は特異点を扱いが困難で得体の知れないものとして、忌避(きひ)しがちな傾向にあるが、『虎穴に入らずんば虎子を得ず』のことわざよろしく、(数学の)プロは扱いが困難で得体の知れない特異点の付近でこそむしろ、なにがしか重要な手がかりが隠れていやしないかと刮目(かつもく)してよくよく調べようとするのだという(これまた偉大な精神・心理戦である)。

(例)新幹線の秋田駅から次の停車駅の大曲(おおまがり)駅までの約30分間、こまちは逆走状態となる。これは、秋田ー大曲間の奥羽本線とその後の田沢湖線の配線がアルファベットの「r」の様にスイッチバックで接続されているためである。また、この「r」型のスイッチバック(特異点)による切り返しが秋田新幹線の旅の魅力(charm point)として秋田県の見逃せない名所のひとつになっている。地勢(ちせい)を見極め、ここぞというところに誘い込んであえて特異点(ひっかかりポイント)をつくり、180度切り返して思いきって打たれた『一撃必殺の返し技』の好例と言えよう。

電気通信大学の最寄り駅である調布駅(副駅名標:電気通信大 最寄り駅)も京王(けいおう)線と京王相模原(さがみはら)線の分岐(ぶんし)駅であり、その配線がアルファベットの「て」の形になっている(親しみを込めて『つみち』と呼ばれている)。調布駅はまた『映画のまち』の駅としても知られ、1日の平均乗降人員は約10万人である。この数は京王電鉄の駅のなかでは新宿駅、渋谷駅、吉祥寺駅(いずれもターミナル駅)についで4番目に多く、京王電鉄単独の中間駅としては最多となっている。

(例)投打の二刀流で有名な大谷翔平選手は、スライダーに加えて、当初はスライダーと同じ軌道ながら途中で分岐(ぶんし)して反対方向に曲がる運動軌道をもつシンカーを使う。スライダーのみだと、打者は『踏み込んで打つ』などの対策がとれるが、シンカーという分岐線(ぶんしせん)があるかと思うとうかつには踏み込んで打つことができない。ビュリダンのロバではないが、スライダーにシンカーという分枝線を加えることによって意思決定の問題が打者にズシンと重くのしかかる(これまた偉大な精神・心理戦である)。そうして、意思決定におけるコンマ何秒かの気の迷いはバットの振りの鋭さ(キレ)を数センチあるいは数ミリの精度で鈍らせて打者の自滅(じめつ)を誘うことになる、、、スポーツはじめ、負けの90パーセントは自滅にあることに留意されたい。

オイラーの公式
 
 
特に、θ = π のとき
となり、この関係はオイラーの恒等式(Euler's identity)と呼ばれる。
 
そうして起点・原点・出発点・starting point・一丁目一番地たる初期条件は一般にさまざまであることを忘れてはならない!カードが配られた瞬間に最終目的地(終端条件)に位置するロイヤル・ストレート・フラッシュが揃っている幸運なケースは確率的にみても稀であろう、、、

(例)DNAの二重螺旋(らせん、double helix)構造はcos関数とsin関数で表現され、双対・相補的な(幾何学的構造)関係にあるがために損傷に強く(頑健、ロバストである!)、複製の際にもコピーミスが起きにくい。

(例)電磁波は池に小石を投げ落としたときに生じる波紋(はもん)のごとく、光速という有限の速度で宇宙空間を徐々(じょじょ)に伝播(でんぱ)してゆく。具体的に、電界が磁界を誘導し、磁界が電界を誘導するといった具合に電界と磁界は対(つい)になって相互作用しながら、90度位相のずれたsin波、cos波としてチェーン状に伝わってゆく。医療分野で応用されているX線(CT)やガンマ線(重粒子線治療)なども電磁波の一種である。電磁波は計測においてはノイズの原因としても知られ、医用画像上に顕(あらわ)れる場合にはシールドを施すなどの対策が必要になる。

(cos(t),sin(t),vt/2π)と(-cos(t),-sin(t),vt/2π)の対はz軸を軸として一回転する間にv進む、位相(t)がπだけずれた(実際のDNAの場合にはこの位相差はπより小さいらしい、、、)二重螺旋構造になっている。これを回転運動(cos(t),sin(t),0)と等速直線運動(0,0,vt/2π)の線形和として捉えれば、直観(幾何学、野性)的にも見通し良く、単純・明解で簡便にハンドリングできる。

他方、RNAは1本鎖であるがために2本鎖のDNAの場合とは異なり、複製の際にコピーミスが生じやすい。このためCovid-19など、RNA型のウイルスには変異型が多く、治療時の対応をより困難なものにしている。

これに対して治療薬開発の現場では、RNAのコピーを阻害するための薬を複数まぜて同時に使用するという対応策が用いられている。RNAのコピーの際に複数箇所が同時に変異する確率は十分に小さいため(why 微小な確率の積)、この方法はRNAのコピーの阻害において有効に機能してウイルスの増殖を抑制できることが知られている。


すなわち、(世界観)学習に寄与する有用な良質のフィードバック(鍛錬・洗練)を得ることを目的とする経験値(知)獲得論的な観点に立てば、最適な道はかならずしも最良のフィードバック(鍛錬・洗練)を与えてくれる、言わば『知的な』最適解とは到底言えない(位相的に観て最適解から適度にずれやゆらぎがある、言わば『付かず離れず』の多様な道をあえて選択してあえて適量の(Errorをともなう)失敗経験を積み重ねながら歩むようにしたほうが(人生を全うするための固有(関数)ベクトル空間の成長にとっても)有用な鍛錬・洗練が得られて(世界観)学習にとってはむしろ良い)のだ!ひとつひとつ異なる、多様な旅の(失敗)経験値(および経験を蓄積するプロセス)に(よる人生を全うするための固有(関数)ベクトル空間の拡張に)こそ我々は価値を置くべきである!

研究の有用性の主張には2つの方法がある。

ひとつ目は、提案手法(条件)によりこれまでで最上のパフォーマンスが出ることを実証すること

二つ目は、うまくゆかない方法(環境条件)とすこしでも性能が改善した方法(環境条件)とを比較し、なぜ改善したのか、その機序(きじょ)・構造を説明する理体系を構築すること

ひとつ目のほうが一般に華々(はなばな)しく、周囲から注目もされがちであるが、じつは二つ目の機序・構造論研究にこそ価値がある!と捉えるほうが精神衛生上良い。

なぜなら研究者として、いつもいつも最上のパフォーマンスを出せる環境が得られるとは限らないであろうし、1つ目の道(どう)のみを追い求めてばかりでは息苦しくなってしまうからだ。(y=)log(x)関数のようにサチュレーションする(saturation、頭打ちになる)グラフを想像してみよ!となりあう点と点とをy軸上に射影してみれば、xの値が増加するにつれ射影された点と点との距離はどうしても密集してしまうことに気づけるはずだ。

研究において問題を解くことに成功したかどうかの定義はその問題に対して意欲を失うことなくどれだけ努力を印加(input)することができたか(、そのプロセス)である。その問題に頑張って取り組んだプロセスがそこにあるのであれば、その結果たとえ解けなくても成功、逆に努力なしで解けてしまったのならば、それは成功したとは言わない(元同僚の先生より)

何も考えずに確信のない状態で出した答えが幸運にもたまたま正解であったということがある。他方で熟考に熟考を重ねた挙句に、確信をもって導いた答えが、結果的にたまたま誤ってしまっていたということも世の中にはあり得る。この場合、仮にその答えが間違っていたからといって、その熟考のプロセスまで何ら価値がないものだと簡単に切り捨ててはいけない。

たとえ答えが誤っていたとしても確信をもって導いた答えへと至る熟考のプロセスには大きな価値があり、貴重なものであると捉える姿勢が重要である。多くの場合、熟考に熟考を重ねて確信をもって導いたプロセスは、たとえ間違っていたとしても確信をもって修正され、確信に満ちた次のプロセスへと生かされ、つながってゆくはずである。(その人あるいはそのアルゴリズムの)確信度を知ることはかくも重要である!

人生において成功したかどうかの定義もまた同様であろう。すなわち、

人生において成功したかどうかの定義は自分の人生を全うするための本質的(intrinsic)なプロセス(人生を全うするためのバックボーン)に対してどれだけフォーカスして、そこに対して意志(will)を集中して努力を印加(input)して爪痕(つめあと)を残すことができたか(、そのプロセス)である。意志(こそ)は(連続無限の濃度を生み出し、時に不可能を可能とする奇跡の)力である!

Where there's a will(人生を全うするための固有値),
there's a way(人生を全うするための固有(関数)ベクトル(空間)).
Abraham Lincoln (1809 - 1865)

自分の人生を全うするための本質的な課題に対して根気よく、意志を集中・集積しながら心のなかに折れることのない一本の槍(人生を全うするための固有(関数)ベクトル)を宿して頑張って取り組んだ濃密なプロセス(自身の人生に固有なベクトル空間)が(縮退することなく)そこにあり、爪痕(つめあと)を残すことができたのであれば、その結果たとえ解けなくても成功、逆に努力無しで解けてしまったのならば、それは成功したとは言わない。

すなわち、ぎっしりと中身(contents)や内実(fruits)の詰まった(数学でいうところの)稠密(ちゅうみつ、ちょうみつ、dense)、さらには間隙(かんげき)や穴が全くない完備(かんび、complete、甘美!?)な実のある自身の人生に固有なベクトル空間が縮退(しゅくたい)することなくそこにあるのならばそれで良しとするモノの観方・考え方・捉え方・発想の仕方・世界観である(1より大なる固有値とともにあるのであればなおさら良い.why 1より小なる固有値のもとでは、べき乗すると空間が縮退してしまうから、、、)!(固有値が)1より大きいのか小さいのか、それが問題だ!
 
(人生を全うするための固有値が)To be (greater than 1), or not to be, ― that is the question.
(in Hamlet, William Shakespeare, 1564-1616)

生きるべきか(人生を全うするための固有値が1より大きいのか)死ぬべきか(小さいのか)、それが問題だ
(ハムレットより, ウィリアム・シェイクスピア, 1564-1616)

(例)ウイルスにとっても実効再生産数(R)という固有値が1より大きいのか(小さいのか)、それが問題だ

ここで稠密(ちゅうみつ)であることと完備(かんび)であることとは概念として一線を画している(singularityがあり、位相的に異なる!)ことを明確に意識しておきたい。『ぎっしり中身が詰まっており、なおかつ間隙や穴がない』ことが完備である。

たとえば有理数全体の集合はある有理数のつぎの有理数を指定できない(指定した瞬間に、それよりもさらにより近い有理数が生じてしまう)くらいに隣どうしがぎっしりと詰まった稠密集合であり、いかなる無理数に対してもいくらでも無限にアプローチして近づいてゆく(接触する)ことさえできる(有理数列の極限が無理数を含むあらゆる実数を析出する!)のだが、その中にはやはり、無理数という無数の間隙や穴を内包してしまっているがために完備とまでは言えない。

その意味では(実数と同じ連続無限の濃度をもつ)無理数であってもまた、そのなかに有理数という間隙や穴を無数に内包してしまうのであるから完備とまではゆかず、稠密集合の範疇(はんちゅう)にとどまる。他方、有理数と無理数を合わせた実数全体の集合には間隙や穴が全くないために完備であると言いきれる。完備であることは大黄河からひと雫(しづく)、アラビア砂漠からひと粒をみつけるがごとく、解析的な解の存在を安定的に保証するうえで数学的に極めて重要である。

解の存在に関して言えば、『代数学の基本定理』も重要である。実係数の代数方程式であっても、かならずしも実数の範囲内に解がみつかるとは限らない。他方で、これを複素数の範囲まで拡げて考えれば、任意の代数方程式(複素数係数であってもよい)は複素数の範囲にかならず解をもつことが知られている。『代数学の基本定理』は19世紀にCarl Friedrich Gauss(1777-1855)によって証明された。線形代数において、直観・幾何学・野性的に見通しよく単純・明解にハンドリングすることができる直交行列の複素数拡張としてのユニタリ行列、対称行列の複素数拡張としてのエルミート行列が重要になってくるゆえんでもある。

任意の正方行列は交代(反エルミート)行列と対称(エルミート)行列との和に分解できる事実もこれまた重要である。(力やモーメントといった)あるベクトル場を考えるとき、交代行列は原点を中心とする微小領域の瞬間(ねじり)回転(変形運動)力(モーメント、トルク)と対称行列は原点を中心とする微小領域の対称的な伸び(縮み)(垂直ひずみ)(変形運動)力とそれぞれ対応している。

瞬間(ねじり)回転(変形運動)力(モーメント、トルク)は微小領域(コントロール・ボリューム)を構成する面に対してせん断ひずみ(skew)(変形運動)をもたらすことから、交代行列はひずみ対称行列ともよばれる。医療工学においてもモーメントによる生体のひずみあるいはせん断ひずみ変形運動を考えるうえできわめて重要である。率直な数学的表現が物理の本質を垣間見せる好例といえよう!




A = \dfrac{A + A^T}{2} + \dfrac{A - A^T}{2}
(例)風船に針の穴ほどの穴が空いていたとしても、トポロジー的にはそれはもはや球面とは言えず、もはや円板と同相になってしまう。小さな穴ひとつあるかないかが本質的かつ決定的な位相の分かれ目となりうる。

研究者は概して浮世離れして見えるものだが、けっして上(うわ)の空になっているわけではない。ただ自身の土俵内(時には土俵外のこともある!)の何処かに爪痕(つめあと)を残すべくフォーカスしており、そこに対して孫悟空よろしく心の中に折れることのない、まさに中国の伝奇小説『西遊記』に登場する如意金箍棒(にょいきんこぼう)の如(ごと)き一本の槍を宿して意志(will)を集中・集積して『連続無限の!』努力を印加(input)しつづけているだけである!

You have to trust that the dots will somehow connect in your future. (Steve Jobs, この点と点とが兎にも角にも将来において結びつくという信念をもたなければならないのです。)

ここで、点と点とが多すぎる場合には、結びつける場合の数(nCk)が爆発的に増加してしまうため、その選択が困難になることには留意されたい。似たようなメニューがたくさん並んでいるレストランでは選択が大変困難な作業になるのだ!

Steve Jobsは大学で学んだカリグラフィーの技術をマッキントッシュを開発するときに、フォントとして組み込んだのである!すなわち、『行きかふ年』と『年』とがSteve Jobsの頭のなかで出会うことで相互にコミュニケーション・リンクによるモーメントを与え合い、化学融合反応を起こしながら『結びついた』ことによりマッキントッシュの美しいフォント(字游工房によりデザインされたヒラギノフォントなどは秀逸である!)が生まれたのである!

囲碁の布石において、最初は悪手に見えた手が、後々振り返ってみれば実は好手であったということが時に起こりうる。ひとつのコミュニケーション・リンクを見ているだけでは悪手にしか見えない手であったとしても別のコミュニケーション・リンクを見出すことさえできれば活路(かつろ)に転じうる可能性は十二分にあるのである!重要なのは世界観だ!!!!

(例)たがいに相似な行列は、どれも同一の線形変換(事象(じしょう)、出来事)のいろいろさまざまな基底(きてい、世界観)に関する行列による表現である。

(例)座標変換と運動変換の統一・統合的かつメタ的なハンドリング
『手先の(基底)座標系(たとえば臓器座標系)に埋め込まれた位置ベクトル(たとえば臓器内の患部(腫瘍)の位置ベクトル)を座標変換して根元の(世界)座標系に埋め込まれた位置ベクトルとしての(座標)表現を得た』という世界観と、『当初、根元の(基底)(世界)座標系と一致していた、手先の(基底)座標系(たとえば臓器座標系)に埋め込まれた位置ベクトル(たとえば臓器内の患部(腫瘍)の位置ベクトル)が、手先(基底)座標系の運動(変換)にともなって、一緒に運動した結果、あらたな座標へと移動した』という2つの事象は(根元の世界座標系に対する手先座標系に埋め込まれた位置ベクトルの)相対的な位置(移動)の変換(行列)によって同様に表現されるという観点では統一・統合的にまったく同様の表現が可能で、一段抽象化の階段をのぼることで、普遍・一般・抽象的かつメタ的にハンドリングすることができる。

未(いま)だ基底(きてい)の定められていない座標系に正規直交(せいきちょっこう)なる基底を選べば、それらの基底は(実は!)単位行列を構成する列ベクトルである単位ベクトルとして座標表現されることになる。これは、自分自身(と一致する座標系)を自分自身(と一致する座標系)に写(うつ)す座標変換(恒等変換)行列が単位行列で定められることによって確認(check)することができる。

本来、世界座標系の基底ベクトルは正規(大きさが1)で直交してさえいればそれでよいのだから、さまざまに自由な表現が許されてしかるべきではないか!と一見、思ってしまいがちなところではある。ところがどっこい、これはあくまで見せかけだけの自由であり、座標変換行列、特に恒等変換行列を導入することによってこのような自由への幻想(げんそう)は無残(むざん)にも打ち砕かれ、これとの辻褄(つじつま)を合わせるべく基底表現の多様性が排除(自由度が拘束)され、結果的に単位ベクトルとして一意に基底の座標表現が定まってしまうことになる。現実の掟(おきて、拘束)はかくも厳しいのだ、、、一は全、全は一※である!

他方で逆説的ではあるが、世界座標系(基底)をどのように取るかは本質的かつ決定的に重要である!あらゆる価値観や感性は、その人の心の持ち方(世界座標系(基底)の取り方)によって、いろいろさまざまなものに変現してゆく事に気づいた時(そうあるからこそ、逆説的ではあるが適正な基底を定めることがかくも重要になってくるのだ!)、その人は真実を見ることが出来るのだという(『華厳経(けごんきょう)』の最も大事な部分である如心偈(にょしんげ)の中の一節)。まずは基底を適正に定めてみよう!そうすれば適正な座標値が定まる(得られる)であろう!

(例)たがいに相似な行列はどれも同一の線形変換(T)のいろいろさまざまな基底(φ_A)に関する行列(T_A)による表現と捉えることができる。すなわち、基底(座標系・視点(perspective))をいろいろさまざまに取り換えて同一の線形変換(T)を眺めて観たとしても固有方程式(モード)の係数から導かれるDeterminant(変換前後の体(面)積比)やTrace(固有値の和)といった量は不変(特徴量)である!

(例)適正な医用画像(断面)を得るうえでも適正な基底(座標系)を定めることが重要である。そうすれば適正な座標値(診断の特徴量)が定まる(得られる)であろう!

※アニメ『鋼の錬金術師』では「一は全、全は一」とは何かと師匠から問いかけられたアルとエドが無人島に放り込まれ、そこでサバイバルするなかで万物(ばんぶつ)の流転(るてん)を体感(たいかん)し、世界の真理の断片(だんぺん)を見出した。

(師匠からの問い)一は全、全は一(One is ALL, ALL is One)とは?
(アルとエドの回答)全は世界、一はオレ(ALL is the WORLD, One is Me)

ここで、要素が関係性(コミュニケーション・リンク、超偉大なるテンション(超万有引力!))や(これにもとづく社会)構造をつくる、あるいは関係性や(社会)構造が要素に役割を与えるという具合に、因果関係は互いに逆方向に働いていることに着目されたい。




将棋の格言に『金底の歩、岩よりも堅し(きんぞこのふいわよりもかたし)』というものがある。囲碁と同様、将棋においてもまた、コマとコマとの間のコミュニケーション・リンク(およびそこで働く超偉大なるテンション(超万有引力!))をつくり、取られたら取り返すことができる状態にしておくことが戦略上、あるいは安全保障上、きわめて重要な作業になる。サルの世界でさえ、仲間のサルが殴られれば、仲間が殴り返しにゆくのだという。特に将棋の解説では『(あるコマにある)コマを紐(ひも)づける』という言い方が用いられることが多い。

月日は百代(はくたい)の過客(くわかく)にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟(ふね)の上に生涯(しょうがい)をうかべ、馬の口とらへて老(お)いをむかふるものは、日々旅(プロセス)にして、旅を栖(すみか)とす(松尾芭蕉、奥の細道)

失敗(エラー)経験を積まず、ただ成功体験のみにもとづいて導出された手法(あるいはシステム)は中長期的にみれば、頑健(がんけん:robust)性がなく、むしろ脆(もろ)い(fragile)とさえ言えよう。濃密(dense)なプロセスとしての失敗(エラー)経験の集積(accumulation)は未来への投資によって得られた偉大な資産(asset)である。

教訓化されたプロセスとしての失敗(エラー)経験と成功経験とを両方(構造として)織り込むからこそ、頑健かつ高性能なシステム(の構造)を構築してゆくことができるのだ。すなわちシステムに対して良質のフィードバックを与えうるものは成功体験プロセスの集積ではなくむしろ、濃密な失敗(エラー)経験プロセスの集積なのだ!

換言すれば、失敗(エラー)の集積からその構造を学び、これを織り込むことこそが、頑健かつ高性能なシステムを産み出すうえでは本質的に(intrinsically)重要なのだ。

(例)失敗(エラー)経験を何度も繰り返しながらジワジワとタスク軌道を連続的に変化・変容させつつ失敗(エラー)と成功の間に相を入れる特異点(あるいはその集合としての線)の存在を探る。これを繰り返せばタスク軌道を洗練・進化させることができる。

素人は特異点を扱いが困難で得体の知れないものとして、忌避(きひ)しがちな傾向にあるが、(数学の)プロは扱いが困難で得体の知れない特異点の付近でこそ、なにがしか重要な手がかりが隠れていやしないかと刮目(かつもく)してよくよく調べようとするという。

これはわれわれがさまざまな場面で無意識あるいは意識的に行っていることだが、このメカニズムについてより深奥に迫るためには特異点をまたがずにジワジワと軌道を変化できるものを同相として取り扱うホモトピックの概念を知っておくとなお良いであろう。この方法はロボティクスにおける学習方法としても研究されている(深層強化学習、ポテンシャル法など)。(ジワジワ変化による特異点探索法)

これはRudolf Emil Kalman(1930-2016)が提唱し、ばらつきのある過去のデータの集積を参照、フィルタのパラメータを逐次更新するカルマンフィルタの原理に類似(similar, analogous)である。カルマンフィルタは目標物の時間変化を支配する物理法則(たとえば等速直線運動)を活用して、本来連続的かつなめらかな運動軌道を有しているにもかかわらず、(多くは正規性の)ばらつきをもつノイズに汚染された状態で観測される目標物の位置を過去(内挿あるいは平滑化)、現在(フィルター)、未来(予測)にわたって効率よく推定することができる。

Herbert William Heinrich(1886-1962)によれば、およそ300回に1回は(ヒトにとって)想定外な事(象)が起こる。子供が波にさらわれてしまうのはこの、およそ300回に1回おこる(ヒトにとって)想定外の大波が来たときであるという。これらに対して頑健(robust)なシステムを構築するためには失敗(エラー)経験プロセスの集積が欠かせない。

そうしてまた、成功経験プロセスのみならず、失敗(エラー)経験プロセスをも教訓化して構造(mechanism)として織り込んだシステムには一種独特の雰囲気(aura)や迫力(force)、何とも言えない魅力(charm)や温かみ(warm)があるものなのである。

なぜならそのようなシステムを構成するパーツのひとつひとつにこそ、熟成された人生の妙味(みょうみ,fascination)・薬味(spice)や究極の人間らしさ(humanity)がぎっしり詰まっていることを感じとることができるからだ。

失敗(エラー)することには耐えられるが、挑戦しないでいることには耐えられない。成功を学ぶためにはまず、失敗(エラー)(の構造)を(プロセスとして)学ばなければならない。人生でなんども失敗(エラー)してきた(。もちろん、現在も新しい挑戦をしつづけているのだから当然、失敗しつづけている、その継続的なプロセスの集積がある)からこそ私は成功した(/つづけている)。(マイケル・ジョーダン)

挑戦しないでいることには耐えられない』、『失敗(エラー)(の構造)をプロセスとして学ぶ(機序・構造論研究にこそ価値がある!』というモノの観方・考え方・捉え方・発想の仕方・世界観がすばらしい(これこそが鍛錬・洗練の賜物であろう)!すなわち、たとえ失敗(エラー)したとしてもそこから機序・構造論研究においては世界観学習に資する良質のフィードバックが得られて、結果として少なくとも鍛錬・洗練されたプロの世界観が残る(それで十分ではないか!?)のだから、結果を恐れて挑戦しないでいる理由はこの世のどこにもないのだ!換言すれば、挑戦しないでいることこそが最大の失敗(エラー)なのだ!!!!そうして失敗しつづけながらも、同時に挑戦し続けることができている人は(とっても!とっても!とっても!とっても!)魅力的なのである。

人生に失敗(エラー)がない(挑戦しないでいる)と人生を失敗(エラー)する(斎藤茂太)

Success is the ability to go from one failure to another with no loss of enthusiasm.(Sir Winston Leonard Spencer-Churchill)
成功とは(野性・野能に突き動かされながら挑戦する、人生を全うするための固有値たる)意欲を決して失なうことなく(みずからの人生を全うするための固有(関数)ベクトル空間において)失敗(エラー)につぐ失敗(エラー)を繰り返すことで失敗(エラー)(の構造)をプロセスとして学ぶ(機序・構造論研究にこそ価値がある!)ことである(そうすれば必ず鍛錬/洗練された良質のプロの世界観が残る!それで十分ではないか!?)。(サー・ウィンストン・レナード・スペンサー=チャーチル

すなわち、

0.やらずにはおられないこと(固有(関数)ベクトル)を見つけてしまったがために

1.(固有値が膨らみ)挑戦しないでいることには耐えられなくなり

2.さらには、へこたれることをあきらめ

3.ついには、あきらめることをあきらめる羽目になる!

Even a mistake may turn out to be the one thing necessary to a worthwhile achievement. (Henry Ford,失敗(エラー)とは、よりよい方法で再挑戦する素晴らしい機会である。)

I didn't see it then, but it turned out that getting fired from Apple was the best thing that could have ever happened to me.  (Steve Jobs,そのときには分かりませんでしたが、Apple社からクビにされたことは私の人生で起こり得た最善の事になったのです。)

A broken bone is the stronger when it is well set.(うまくつながれば折れた骨は以前よりもずっと丈夫になる)。

弘法も筆を誤り、猿も木から落ちるのである!失敗(エラー)経験や挫折経験を恥ずかしいものと捉える風潮(世界観)からは距離をおいて(Off to see the world !)、いち早くこれを脱却するのが吉(よし)である!

失敗(エラー)が起こってしまったことは決して悲しむべきことではない!むしろこれを契機として、『チャレンジは誇るべき偉大な未来への投資であり、濃密なプロセスとしての失敗経験の集積はチャレンジしたからこそ獲得できた、手法(あるいはシステム)の頑健性を向上するための誇るべき偉大な資産』と捉えうる思考(世界観)の(大)転換を図るべきであろう。一切は心に従って転ずる!

失敗(エラー)経験プロセスは成功の母であり、みずからの骨身(ほねみ/こっしん)にしみた(ほろ苦い!)失敗(エラー)経験プロセスにもとづく教訓はきわめて大きな説得力をもつ。換言すれば、説得力のある偉大な教訓は成功経験からではなく痛みを伴うプロセスとしての実際の『生きた失敗(エラー)経験(談)の集積』からこそ生まれるのだ!(しくじり先生法)

失敗(エラー)を恐れるな!恥ずかしがるな!失敗(エラー)経験は積極的に共有化せよ!

人間がたったひとりでできることなんて高々知れている。ひとりひとり、長所もあれば短所もあろう。みずからの短所を補完(間)・外挿してくれるのは、周囲の人・物である。これを踏まえて失敗(エラー)経験を人間(じんかん)において複数の多様な人間(軸)で『群知能(ぐんちのう)として共有化』するやり方は有効な方法であろう(これはインターネットのもつ破壊的インパクトを観れば納得がゆくであろう)。

これにより、助言・助力が相互に得られて解決に向かう問題もあるのだ!なぜなら、蛇(じゃ)の道は蛇、餅(もち)は餅屋であり、その道の真のプロフェッショナルとはだれよりもその道についての多くの構造化されたプロセスとしての、言わば『珠玉の失敗(エラー)経験(談)集』を教訓化して語れる人でもあるからだ。そうしてまた、その多くは自らの骨身にしみたほろ苦い失敗(エラー)経験プロセスの数々なのだ、、、

(ひっくり返して考える:長所と短所はオモテとウラの関係)~~~~~~~
就職担当の面接官からよく聞かれる質問として、『あなたの長所と短所はどこですか?』というものがある。長所はまあよいとして、短所の返答に困った経験はないだろうか?長所や短所は同じ性質(特性・属性)に対する捉え方(世界観)の問題である。原子力にも平和利用と兵器利用の両面があるように長所と短所はオモテとウラの関係にあり、長所は短所として捉えることができるしまた、短所は長所として捉えることができるのだ!

面接官が問うているのは、まさにこのオモテウラの関係をよく理解し、長所と短所をひっくり返して考えうる発想の柔軟性を有しているかどうか?ということである(余談だが、ワイシャツを脱ぐ際によく腕の部分が自然とまくれて表裏ひっくり返ってしまうことがあるが、洗濯機にはそのまま表裏ひっくり返した状態で突っ込むのが簡便である。なぜならアイロンは衣類の裏側からのほうがかけやすいからである。スラックスも同様である)。さらにまた、この発想の柔軟性を局面(Time Place Object Human-Things:TPOHT)に応じて使い分けることができれば満点である。

ところでアイロン台にワイシャツを置くと、あちらこちらに凸凹(でこぼこ)ができていることに気づく。この凸凹を解消するためにわれわれは、ワイシャツの端と端を持って、引っ張りながらアイロンをかける。この柔軟な発想に基づく偉大なアイロンがけの手法はトポロジーという学問においてもその起点・原点・出発点(starting point)・一丁目一番地・根本であり、なおかつ根幹でもあるというべき本質的にきわめて重要な手法である!

彼(か)の有名なポアンカレ予想を解くために、 グレゴリオ・リッチ=クルバストロ(Gregorio Ricci-Curbastro)は3次元多様体の凸凹を上記のアイロンがけ手法により均(なら)すリッチ流(Ricci flow)の概念を思いついた。

ハミルトンはこのアイロンがけの手法を2次元多様体に応用展開し、『その上にあるあらゆる閉じた曲線を点に縮められるような凸凹な面』を均(なら)してゆくと最終的には至るところ均(ひと)しい曲率をもつシワのない曲面である球面になることを突き止めた。

しかしながら、3次元多様体をアイロンがけした場合には、多様体の切れ端が集まっているような場所においてところどころ、どうしてもシワがよってしまうことがある。これを回避する方法を見出したのが彼(か)の有名なペレルマンである!ペレルマンは多様体の切れ端が集まり、どうしてもシワがよって(もつれて)しまう部分を切り取って、アイロンをかけて(もつれをほどいてから)から、再びもとに戻して縫い合わせるという画期的な外科的手法を思いついたのである。

一方でサーストンはこのときすでに、『宇宙がたとえどんな形であろうとも、それは必ず、最大で8種類の異なる断片から成り立っているはずだ』という予想を立てていた(サーストンの幾何化予想)。この『サーストンの幾何化予想』によって、宇宙がとりうる形は、最大でも8種類であるということを証明することへと焦点は移った。『サーストンの幾何化予想』を解けば、おのずと『ポアンカレ予想』も解かれることになるのだ。

ペレルマンはアイロンがけの手法にもつれをほどくための外科的手法を組み合わせることで、宇宙がとりうる形は、最大でも8種類であるという『サーストンの幾何化予想』を証明することができ、ポアンカレ予想が解決できることを証明して見せたのである!

(参考文献)イアン・スチュアート, 数学の真理をつかんだ25人の天才たち,ダイヤモンド社, 2019.
http://gascon.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_6a66.html

Outside in

上記を踏まえて、この問に対しては、自身の長所とおもわれる性質(特性)について、これを短所として捉え直した場合にどのような副作用がありうるか?を客観的に検討、よく理解していますよと答えれば気がきいていて良いのではないだろうか?

たとえば、『ものごとを突き進めて、とことん最後までやりぬく、という私の長所には、視点・視座を変えてみれば、何事も必要以上にやりすぎてしまうという副作用が随伴(ずいはん, adjoint)していることを(私自身も客観的に)よく認識していますよ』と答えるのだ。

そうすれば面接官は、「こいつは物事を多面的に捉えられる、頭のやわらかい人間だ(イノベーションは複数の世界観がぶつかり合い、化学反応したときに起こりやすい!)」と高く評価してくれるだろうしまた、短所の裏返しとしてみずからの長所をさりげなくアピールすることにもつながる。もちろん相手の面接官が柔軟な思考の持ち主であればの話だが、、、
~~~~~~~(ひっくり返して考える:長所と短所はオモテとウラの関係)

(思考展開するうえでの前提条件について)現在の持ち札が不足しているだけで、未来には充足しているものと想定する(なぜなら、未来に充足していたら、その世界はきっとおもしろい世界になっているだろうから)。

(例)現代の65歳以上の老人にはスマートフォンの操作が苦手という前提があるが、果たして20年後の老人においてはどうなっているであろうか?

想像力をフルに働かせて、未来に充足しているであろう技術水準をも見据えたうえで中長期の将来ビジョン(未来の本質・骨格)を描く。そこ(未来の本質に向かってわれわれのコア基盤技術を投入、つなげてゆく。

(例)王貞治監督はバッティングの理論として、みずからのバットの軌道とボールの軌道とを頭の中で想像して、その交点に対していかにタイミングよくバットのスイートスポットを(モーメントの勢いよろしく)ぶつけてゆけるかということについていろいろと思考を巡らせながら素振りの練習を繰り返したそうである。

(例)申請書を書くときも審査員がその申請書に対して推薦文を作成する作業をサポートする助手のような立場で観て、適切な情報を申請書の適所に織り込んでゆくことを心がけながら推敲を重ねるべきであろう。

(サブ手段1)根拠(Why?)のある、自分なりのやり方(How?、方法論、構成論、構築論)を日々改善しながらモノゴトに対してとことん突き進み、やりきり、つなげきる(とことん突き進み、やりきり、つなげきる法)。

(サブ手段2)行動せずにあきらめるのではなく、行動しながら(視点や切り口を変えながら)考える。まずは行動し、視点や切り口を変えてモノゴトを観ることで情報量が増加、これを踏まえてモノゴトを最も統一(一貫)・統合(包括)・普遍(一般)的で(unitary & comprehensively & universally)、直観(幾何学・野性)的に見通しよく(intuitively & topologically & wildly imaginable)単純・明解で(simple & crystal clear to understand)、だれもが簡便・快適で(easy & convenient & comfort)随意(自由自在、at will)に、なおかつ安全(safe)・安心(secure)・安定的に思いやり(stable & considerate)をもってハンドリングできる視点や切り口(viewpoints and sections)を探る。

エミー・ネーターが研究を通じて道しるべとした行動原理は、つぎのようにまとめられるだろう。

『数や関数や演算どうしの関係性(つながり、コミュニケーション・リンク、そこで働く超偉大なるテンション(超万有引力))を明瞭化して、統一(一貫)・統合(包括)的に適用できるようにし、その生産性を最大限に引き出すには、それを特定の対象から切り離して、普遍・一般・抽象的に有効な(メタ的な)概念として(再)表現しなおさなければならない。』
そうしてこのオブジェクト指向的な行動原理は、デジタル化ときわめて相性が良いのである!

(参考文献)
イアンスチュアート,数学の真理をつかんだ25人の天才たち,ダイヤモンド社.

(例)標準形で与えられた二次曲面がどのような曲面であるかはまず、座標軸に直交する平面の切り口で考えることを発想の起点・原点・出発点とすればわかりやすい。

(例)ゼロを自然数として認めるべきかどうか?という立場(positioning, stance)の問題がある。ゼロを自然数として認めてしまうと、1番目の自然数がゼロ、2番目の自然数が1ということになってしまい、ハンドリングの際に混乱を生じやすい。自然数を統一・統合・普遍・包括的で直観・幾何学・野性的に見通しよく単純・明解で簡便かつ随意に安全・安心・安定的に思いやりをもってハンドリングするためには、認めない立場のほうが実用上、一般に普及しそうだが、、、

(例)

階乗の一般化であるガンマ関数も定義の問題で1ずれていることには注意が必要である。ガウスはこのズレを修正したπ関数の定義を提案している。こちらのガウスのπ関数のほうが、直観・幾何学・野性的に見通しよくハンドリングしやすい。
 

さて、我々の研究室の軸は『 医療のデジタル化(医デジ化)』である。

『医療・バイオは新しいデジタルだ!』を発想の起点・原点・出発点(starting point)・一丁目一番地として旗印に掲げ、

人工知能・IoT・ロボット技術を 医療・ヘルスケア・バイオ分野に展開して、

超高度に『医デジ化』された社会 (Highly Ultra Me-DigIT Society) をゴールとして実現すること

がわれわれの研究室の使命(our mission)である。

医療支援システムに限らず、一般のシステムにおいて、

① 統一(一貫)・統合(包括)・普遍(一般)的で、

Unitary & comprehensively & universally

② 直観(感)(幾何学、野性)に見通しよく、単純・明解で
(Don't think !!!! Feeeel !!!!)

Intuitively & topologically & wildly imaginable, 
simple & crystal clear to understand

③ だれもが簡便・快適で随意自由自在)に安全・安心・安定的に思いやりをもって

Easy & convenient & comfort & at will & secure & safe & stable & considerate for everyone

扱える(ハンドリングできる)ことがシステムを開発・実装・製品化して、これを広く一般に普及するうえで、本質的(essential)かつ決定的(crucial)に重要である。

上記を踏まえて我々は、医療のデジタル化(医デジ化)を提唱している。なぜなら、デジタル化は上記の要件ときわめて相性が良いからだ。

19世紀にGeorge Booleが切り開いたデジタルの道は今やなんと、医療・バイオの荒(広)野にまで及びつつあるのだ!!!!

さらに言えば、上記の要件を医デジ化により極限まで満たすことがわれわれの最終目的地たる『超高度に医デジ化された社会』およびそこで具現化される『超高度に医デジ化された医療支援システム』の究極型である。
 
さて、今後われわれの目指すべき世界(観)として

『旧時代的解析医学からの脱却』『新時代的(デジタル)解析医学の推進』とが挙げられる。

統一・統合・普遍的で直観(幾何学、野性)的に見通しの良い近代(デジタル)解析医学の道を切り開き、これを推進するべきである。
 
これにより、医療・バイオを長い修練の後に初めて身につく個別具体的な職人技から医療デジタル機能関数化により誰もが簡便・快適で安全・安心・安定的に思いやりをもって、随意(自由自在、at will)にハンドリングできる単純・明解なものとすること、またその帰結・成果として、10-20年後の日本(および世界)の医療技術水準をさらに飛躍・底上げさせ、なおかつ持続可能なものにしてゆこうとするのがわれわれの目的である。
 
具体的に17世紀においてデカルト、フェルマーが幾何学に座標系を導入した発明によって18世紀に線形代数学、微分積分学、(数学界における至宝、世界遺産たる絶景の宝庫である!)複素解析学などの解析幾何学(ニュートンが命名)に関する分野が急速に発展した。微積分を実数から複素数へと拡張したのはコーシー、複素解析にトポロジー的手法を導入したのはリーマンである。

これと同様に医療に座標系を導入してデジタルを常用化(regular use of digital)することで新時代的(デジタル)解析医学を急速に発展させることができるものと期待している。その起点・原点・出発点となる一丁目一番地は臓器の輪郭形状をパラメトリックに抽出して、その形状・大きさをまずはデジタルに解析できるようにすることであろう。

そこからさらに、人工知能・IoT・ロボット技術の応用展開によりデジタル・モデル化された医療専門家の知性・知能を同じく医療専門家の肌感覚(感性・感能)にうまく従わせることができるのではないかと企図(きと)・期待している。

すなわち、医療専門家の肌感覚に近い医療専門家の知性・知能をデジタル・モデルとして再構築して、その社会実装を図ろうというのが、われわれの『医デジ化(Me-DigIT)プロジェクト』に他ならない。ウォルト医デジ化ワールドともいうべき医療・ヘルスケアバイオの楽園を我々とともにいざ築かん!と思われる方はぜひ我々までご一報たまわりたい!!!!

ここで、以下の対になる語句の意味するところは大きく異なり、一線を画していることを明確に意識しておきたい。

原理的にできること』と『簡便/随意(自由自在、at will)で安全・安心・安定的に思いやりをもって実行できること』

『装備(一式)があること』と、『装備(一式)が簡便/随意(自由自在、at will)で安全・安心・安定的に思いやりをもって扱えること』

『表現できる(伝える)こと』と、『簡便/随意(自由自在、at will)で安全・安心・安定的に思いやりをもって表現が受け入れられる(伝わる)こと』

行動することの副次的な効果として、行動がトリガーとなってドーパミンやアドレナリン(野性・野能)が分泌され、頭を回転させると、さらにどんどん分泌されることが挙げられる。ドーパミンやアドレナリン(野性・野能)の助けも借りて、頭の回転がフル回転に達したところで、何かが起こる!と固く信じる!

人間の教養とは野性・野能を失うことではなく、(知性・知能とのコミュニケーション・リンク生成によって生命の神髄(クイントエッセンス)たる)野性・野能を(変容・)洗練(・進化)させることである(知性・知能とのコミュニケーション・リンク生成による野性・野能の変容・洗練・進化法)。
岡部伊都子

ここで、仮にたとえそのときに何かが起きたように感じられなくとも、がっかりしないことにする!(がっかりすることをあきらめる!)。決して無駄な行動や思考をおこなったわけではなく、将来的に(超万有引力!がにわかに働きだし)なにかが起こることにつながっている(偉大なるコミュニケーション・リンクが張られた!)に違いない!

今この瞬間に(超万有引力!が将来にわかに働きだす、)そのためのコミュニケーション・リンクたる伏線(ふくせん:foreshadowing)を未来に向けて張り、布石(ふせき)を打った(laid the foundations for future development)のだ!と固く信じることにする!伏線や布石は長い人生、将来においてこれを回収したり、効力を発揮させればそれでよいのである!

点(dot)と点(dot)とが『つながっている』と考えるか、あるいは『つながっていない』と考えるかは(実は、なんと!)世界観(見解)の違い(だったの)であり、両方の世界観(見解)において筋道は一応通っている。しかしながら双方の世界観によって描かれる世界線(導かれる結論)が大いに異なったものとなりうる可能性については注意が必要である。

(例)つながっていないと(直観的には)感じたとしても、(いや実は)つながっている(に違いない)!と捉えうる世界観が重要である!コミュニケーション・リンク(およびそこで働く超偉大なるテンション(超万有引力!))の張られていないWEBページどうしは、(皮相的にみれば)つながっていないと考えるのが一般的で自然な捉え方なのかもしれない。しかしながらこれをランダム・アクセスを含めてあらためて捉えなおせば、(実は)つながっていると捉えうる(あるいは相手に想像させる)世界観も可能になってくる。そうしてこうした世界観をうまく活用してゆくことで、より統一・統合・普遍的な(強運・強者のメタ的な)思考や群知能(ぐんちのう)構成が可能になってくるのである。

(例)線分の両端を無限の彼方まで伸ばした直線(あるいは開曲線)どうしは、(無限遠点という1点を加えて観ることで!)その両端が無限の彼方でつながっている(すなわち曲率半径∞の円弧)と捉える世界観においては、正円(あるいは閉曲線)と一対一の対応がついてしまう。すなわちこのような世界観のもとでは正円(あるいは閉曲線)と直線(あるいは開曲線)との間に(なんと!)相(そう)は入らない。

これについてより詳細を知るためには、角度を保存しながら直線/正円を直線/正円に写す共形(きょうけい)写像の理論やn次元双曲幾何学のモデルであり、その幾何学のもとでの各点が n次元円板あるいは球体に属し、かつその幾何学のもとでの直線がその円板に含まれる円板の境界と直交する円弧または直径によって与えられる有名なポアンカレの円板について学ぶ必要がある。

(参考文献) 富岡礼子,曲がった空間の幾何学,講談社.

Moon RiverAudrey Hepburn

(参考文献)
都築卓司,トポロジー入門,講談社,pp.155-157.

(時間軸的にも、空間軸的にも、さらには人-物間軸的にも)増えた情報をも含めて黄金のN角形ループを構築する戦略を練る(ルービック・キューブ法:ルービック・キューブを解くときにひとつの面だけを見るのではなく、キューブをクルクルまわして情報量を増やしながら解き方を考える、あのやり方である)。これはY=PXの勾配Pをクルクルまわしながらある評価関数を最大(あるいは最小)化する最適な勾配Pを探索するのとanalogousである。このときP=YX^{-1}はリッカチ方程式の解として求まる。

リッカチ方程式はロボットビジョンの理論とも関連している。すなわち、原点にロボットビジョンの視点を置けばすなわち、ロボットは原点を通る同じ傾きの視線をすべて同一の点に縮退させて捉えているということになる。Goshはこの事実をもとに透視システム理論(perspective system theory)を展開し、運動するターゲットに対する同定および観測可能性について直観・幾何学・野性的に見通しよく単純・明解に論じている。

真正面からまっすぐ近づいてくる相手との距離感はきわめて測(はか)りづらい。どんなに相手が強くても真正面からぶつかる戦法がきわめて有効に機能するゆえんである。超音波画像においてもこれは同様であり、(3次元空間のうち、縮退していない)面内の運動は同定しやすいが、面外の(奥行方向の)運動は(超音波画像上で縮退しているがために)きわめて同定しづらい。

(参考文献)
狩野弘之,西村敏充,Riccati方程式と制御問題,J.SICE, Vol.35, No.2, 1995.

2次元ユークリッド空間の運動群E(2)による変換操作のみではどうやってもひっくり返せなかったあのiPadも3次元ユークリッド空間の運動群E(3)による変換操作を加えてあらためて考えてみることでいとも簡単にひっくり返すことができるようになるのだ!自己交差(すり抜け)を許せば2次元球面(バスケットボールやミカンの皮など、われわれがイメージする通常の球面は2次元球面である!)においては位相幾何学的(穴をあけたり、切ったり、シャープに折り曲げたりせず(特異点をつくらず))に球面の表と裏をひっくり返すことさえ可能である!

(例)楕円体面や多面体面(ポリゴン面)など、球面と同相な閉曲面は、3次元空間を面の内部と外部に分割する。カゴの中の鳥よろしく、内部の点は、たとえそれが動くことができたとして、いくらくやしがったところで面を貫くことなく外部に出ることはできない。紙面に描いた閉曲線と話は同様である。

(例)腫瘍(がん)も臓器の内膜につつまれていれば、それを貫くことなく外部にでてゆくことはできない。

(参考文献)
都筑卓司、トポロジー入門、講談社.

Outside in

また実関数の積分は複素関数の積分の一部として複素平面における実軸上の積分として高次元から捉え直すことで留数(りゅうすう)定理とよばれる強力な積分値計算手法を適用することができるようになり、しばしば計算が容易化・簡便化されることが知られている。

この効果は『低次元の束縛からの開放による効果』と呼ばれるもので、低次元の束縛から開放される次元を高次元の定義とする物の観方・考え方・捉え方・発想の仕方・世界観も存在する。

上記の考え方の応用として平面上の図形は複素平面の世界観で捉えることもできるし、単純なxy平面の世界観で捉えることもできる。もちろん両者をうまく切り替え、組み合わせながら捉えることで相乗効果を生み出すことも可能であろう。たとえば複素平面上の閉曲線は単純なxy平面で捉えること(単に世界観を切り替えて観たり、複眼視(ふくがんし)したりすること)でグリーンの定理(線積分と二重積分の架け橋となるベクトル解析の公式)が適用できることに気づく。重要なのは世界観だ!

C(P(x,y)dx+Q(x,y)dy)=D(xQ